小説『ジョージ君、アメリカへ行く』(31)アパート住まい
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同棲を決めたジョージ君と七尾美はアパート探しを始めた。日本のアパートとは違い、アメリカでは敷金も礼金もない。最初のひと月と最後のひと月の家賃さえ支払えば、入居することができた。
ジョージ君は仕事欄にYONEDAレストランのシェフ、七尾美はウエートレスと記入しただけで、容易にアパートは見つかった。
郊外は家賃が高いので、空洞化したダウンタウンにある、治安は悪いが、安いアパートに入居することにした。2階建てのアパートは、目の前に公園があり、広くて満足のいくものであった。
問題はアパートの賃料、月280ドルを稼ぎださないといけない。ジョージ君の皿洗いの稼ぎは月223ドル、缶詰工場で働いた資金は3,800ドルあった。しかし、これは大学に行くための資金、手をつけるわけにはいかない。
七尾美は若くて、健康で、日本語が話せたので、YONEDAレストランで、すぐにウエートレスとして採用された。毎日、最低賃金の時給2.30ドルとチップで、1日平均35ドルほどを稼ぎ始めた。彼女がアメリカで初めて稼ぐ金だった。
それと同時に、通学と職場へ行くために、車も買った。それは彼女の親からの送金で買った。七尾美は見た目だけではなく、気持ちも明るく前向きだったので、レストランではたちまち人気者になった。これでなんとか生活はできそうだったものの、七尾美の買ったフォルクス・ワーゲン・ビートルが頻繁に故障したので、家計は火の車だった。
一緒に住み始めて1週間経ったころ、学校から帰ると、部屋にグランド・ピアノがあった。ジョージ君は驚いて聞いた。
「これ、買ったのか?どこにそんな金があるんだ?」興奮し、まくしたてるように言った。
「買ってはいないわよ。リースしてきたの。月にわずか50ドルよ、1日働けばチップで十分支払えるわ」
「そのチップは授業料にするはずだっただろう。そもそも君の車の修理代、330ドルは僕の授業料のための預金から支払った。俺たちにそんな余裕はないはずだ」
「私はあなたが喜んでくれると思って、リースしてきたのよ。いつも渡辺さん家のように、ピアノの音のする暮らしが夢だと言ってたでしょう」
「それは将来の話で、今は我慢しないとだめだろう?」七尾美は納得しなかった。
「物心ついたころからピアノがあったから、ピアノは私の生活の一部なの。あなただって金がないからといって、テレビのない生活は考えられないでしょう?それと同じよ、私は頑張るから、文句を言わないで!」
ジョージ君は黙るしかなかった。七尾美のピアノを毎日聞きたいと言ったのは、確かにジョージ君であった。彼女はそれを素直に受けとめただけだった。それでもジョージ君には、七尾美の行為は分別のないものに思え、不満だった。
半年後には、ヘイワード州立大学に行くため、彼女と別れて住まないといけない。リースは1年契約だった。解約料を考えると、結局もう1年分、支払うハメになるはずだ。とにかく、相談なく決めたことに、ジョージ君は腹を立てていた。
「もういいから何か弾いてくれ。そうだな、『アロハ・オエ』、『真珠貝の歌』、『乙女の祈り』、『いつでも夢を』もやってくれ。クラシックは知らないが、シューベルトが良いな」
彼女は楽譜がなくても、求められるものは何でも弾いた。“天才だ”と、自分の彼女を誇らしく思った。勝手にグランド・ピアノをリースしてきたことへの文句を、あんなに激しくいうべきでなかったと後悔した。
生まれ育った環境の違いを考えないとうまくいかない。彼女にも良いところはたくさんあった。ある日、川島君がジョージ君たちのアパートにやってきた。東京でサラリーマンを辞め、ワイフと半年間の新婚旅行の途中だった。1週間ほど滞在したが、七尾美は嫌な顔ひとつせず、毎日バーベキューでもてなしたり、4人で観光に行ったりした。
彼女は遊んでいるときはいつもご機嫌で、ジョージ君の友人たちにも、本当にフレンドリーで親切だった。川島君が会社を辞め、半年かけて世界一周の新婚旅行をすると聞いたとき、帰る故郷のある気楽な身分を羨ましく思った。自分はまだ生きるべき場所さえ見つからない。同時に、半年も新婚旅行に行くような度胸のある人材こそ、故郷に帰るべきだと思った。
川島君は「故郷で村長さんになる」と宣言して帰って行ったが、15年後、その夢を「町長」というかたちで実現させた。ジョージ君も街頭の選挙演説のため、喜んで故郷に帰った。
七尾美との同棲生活は、価値観の違いなどいろいろな問題もあったが、一人暮らしよりは、はるかに充実した時間だった。一人暮らしは自由でなんでもできると思っていたが、一緒に住むことで、もっと大きな自由が手に入ったような気がした。
10歳年下の彼女の友人たちと話す機会も増え、毎週末、当時はやりのダンスや、ディスコティックに行ったり、サンフランシスコまでコンサートに出かけたりした。今までのジョージ君にはなかった行動範囲だった。
ある日、ストックトンから約3時間離れた、レイク・タホという有名なスキー・リゾート・ギャンブル場に、トヨコさんと上田君と4人で行った。ジョージ君と七尾美は、あり金500ドルすべてをもって出かけていた。ところが初めて入ったギャンブル場で、七尾美はトランプの賭け事、ブラック・ジャックに「持ってきたお金全額を賭けろ」というのである。
初めは冗談だと思っていたが、どうやら彼女は本気だ。
「負けたらどうするんだ?食事も食べられないぞ?」
「やってみないとわからないでしょう、私はこの一発に賭けたいの」ジョージ君は驚き、感心した。七尾美のいないところで、上田君とトヨコさんに言った。
「俺の彼女は非常に度胸がある。有り金をすべて、ブラック・ジャックに一発で賭けろというんだ。いい根性をしている」
トヨコさんがすぐ反論した。
「ジョージ君、しっかりしなさいよ。度胸があるとか、根性があるとか、そういう問題ではないわ。それはただのバカというのよ。惚れた弱みというか、デレデレしないで。ジョージ君までバカになったの?しっかりしてよ。彼女と同棲してからジョージ君らしくないわよ。なんでも彼女の言いなりになっている。これは私からの警告よ、だからデビーOHARAと付き合いなさいと言ったじゃない!」
上田君も大阪弁で言った。
「いくらなんでも、それはおかしいわ。金がなくなったらどうするんや?俺たちが食事とガソリン代を御馳走するとでも思うんか?そんなの、でけへんで。絶対にいやや、アホか!」
19歳のじゃじゃ馬娘と、28歳のフーテン男は、良いコンビだったのかもしれない。少しずつだが、ジョージ君のタガは確実に緩んでいた。
とにかく、たちまち半年が過ぎた。ヘイワード州立大学へ転校するため、ジョージ君は大学近くのアパートに移った。台湾からの女子学生とアメリカ人の男性と3人で住むことになった。部屋は2部屋しかなく、ジョージ君とアメリカ人のケント君は同室になった。
七尾美は一人暮らしになった。アパート代や生活費は、親がやりくりして送金をしてくれていたらしい。彼女は毎週末、遊びにきた。日曜日の夜にストックトンに帰って行き、アパートに着くや否や、すぐに電話がかかってきた。寂しいというので、1時間以上、電話で話すような状態であった。ジョージ君はそれを可愛いと思い、受け入れた。当時は固定電話の時代で、電話代も非常に高かった。
2カ月後、七尾美から相談があった。電話代が支払えない。合計400ドルを超えていた。しかし、ヘイワード州立大学に行ってから、ジョージ君はアルバイトをしていなかった。勉強が忙しかったのである。
どう考えても、アパート代を支払いながら、無職ではやっていけないことははっきりしていた。なんとかしないといけない。そうこうしているうちに、七尾美から思いがけない話があった。彼女の取っているクラスの教授の義理の姉が、日本人留学生をホームステイさせたいと言っているらしい。住まいはシリコンバレーの丘陵地帯にあるウッドサイド市、名だたる大富豪が住んでいる超高級大邸宅地帯であった。
なにもしなくて良い、ガードマンのようにその家に住めば、月々500ドルの現金を支払ってくれるという、耳寄りな話だった。しかも住んでいるのは、元モデルの42歳未亡人女社長と、16歳の一人娘だけ。ジョージ君はすぐに決心した。
「ダメ元だ、彼女に会ってみよう」
(つづく)
【浅野秀二】
<プロフィール>
浅野秀二(あさの・しゅうじ)
立命館大学卒業。千代田生命保険相互会社(現・ジブラルタ生命保険株式会社)、JACエンタープライズ(米サンフランシスコ)で勤務。関連キーワード
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