2024年11月24日( 日 )

小説『ジョージ君、アメリカへ行く』(34)信頼を得る

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 ある晩、ドアを激しくノックする音が聞こえた。同時に大声で「ジョージ、ジョージ!」と叫ぶ声が聞こえた。キャサリンだ。出張から勇んで帰ってきたようだ。

 2階から走って降り、ジョージ君はドアを開けた。息を切らしたキャサリンが倒れ込むように屋敷内に入ってきた。

 ジョージ君は思わず彼女の手を取った。

「ジョージ、腹が減った。何か食べたい。何がある?」

 ジョージ君は冷蔵庫のなかを確認したが、ステーキ用の肉とベーコン、アイスバーグ・レタスしかなかった。キャサリンは「出張の前にジョージと、スーパーに行くべきだった」と地団太を踏んだ。

「もう外食はしたくない。ジョージ、なにか夕食をつくれないか?」

 ほれきたチョーさん、いや、ほれきたキャサリンちゃんだ。そんなことは承知でっせ。決めた条件でないことを、もうすでに彼女は要求してきている。

 食事はキャサリンがつくるはずであった。しかし、そんなことを気にしていたら、アメリカン・ファミリーと一緒には住めない。アメリカでは、どこの主婦も、食事をつくるのが最大のストレスであることを、前のホスト・マザー、ベティーや、彼女の友人たちの暮らしぶりから学んでいた。それが彼女たちの最大の弱点であり、そこを突けば、彼女たちが大喜びすることにも確信をもっていた。

 ジョージ君は笑顔で、「ベーコン・レタス炒めならできるよ」と答えた。ベーコンとレタスを刻み、フライパンにバターをひいて、投げ込んだ。たちまち、ベーコン・レタス炒めができあがった。それを皿に盛った後、バター、レタス、ベーコンの旨味が出たフライパンにステーキを入れて焼いた。

    キャサリンがシャワーを浴び、ガウンに着替えてダイニング・ルームにきたときには、すでに夕食はできあがっていた。

「もう、つくったのか?早いね、美味しそう、最高な気分だ!」

 パンとステーキ、ベーコン入りのレタス炒めとは豪華な組み合わせだ。彼女は食べ始めるなり、「おいしい、おいしい!ベーコン・レタス炒めなど、初めて食べた。レタスは生でしか食べたことがなかった。とても健康的な食事ね」と言い、息を付く暇もなく食べた。

「ああ、幸せ。これが世間でいう家庭の味なの?夕食をつくって待ってくれる人がいる暮らしは、こんなに幸せなものなの?私もワイフが欲しいわ」

 その後、キャサリンは、ジョージ君がつくる夕食と同じでいいから、これからもつくってくれないか、と言ってきた。当初の取り決めでは、キャサリンが食事をつくることになってはいたが、彼女は出張が多く、帰ってこない日も多かった。帰ってきても非常に遅い時間だった。

 結局、ジョージ君はほとんど自炊していたし、彼女がいる時でも、彼女がつくるまで夕食は待てないという、ジョージ君側の問題もあった。

 さらにキャサリンは、「ジョージ君がつくってくれるなら、スーパーで買う食材のための経費を毎週100ドル渡す」と提案してきた。「領収書とおつりをテーブル上に返しておけば、何を買っても良い」とまで言ってくれた。

 ベティーの時と大違いだ。ベティーは親の遺産で暮らしていたが、キャサリンは月収2万5,000ドルもある現役の社長、気前は良かった。

 ジョージ君は自分が好きなものしかつくらないという条件を出した。金をすべて出してもらいながら、ずいぶん強気な発言に、ジョージ君自身が驚いた。これもベティーのときの教訓が生きていた。自己主張のタイミングもわかっていた。

 ジョージ君は自分が食べたいからという理由で、カレーやラーメン、焼き飯をつくった。時には特上のステーキもつくった。

 食事をつくること、これが予想どおりの大きな効果をもたらした。キャサリンの胃袋を捕まえたのだ。それが彼女の信頼を得る、最高の手段となった。「家に帰る最大の楽しみは、ジョージのつくる食事だ。お前との知的な会話ができ、一緒にワインや酒が飲めれば100点なんだけどな」と残念がった。

 ここで得た“食事の重要性”という認識は、ジョージ君のその後の人生に大きな影響を与えることになった。

 日本のサラリーマン時代のことを思い出した。上司と若い同僚の女性、5~6人で飲みに行ったときのことだ。彼女たちの最大の関心事は、どうしたら結婚相手を見つけられるか?どうしたら男の人に喜んでもらえるか?カンカンガクガクと楽しそうに議論をしていた。

 そこに酔っ払った課長が一言。

「君たち、男をつかんで離さない一番の条件は、食事だよ。夕食が美味しかったら、旦那は必ず家に帰ってくる。俺のように浮気をしても、最後は家に帰りたい。奥さんの食事に惚れているからだ。セックスはたまにしかしないものだが、食事は毎日だぞ。しかも結婚生活は30~40年も続くんだ。食事がまずいと家庭は地獄だ。君たちも今から料理学校に行きなさい」

 キャサリンと食事をしながら、このときの記憶が甦ってきた。若いツバメにならなくても、そんなに忠誠心を示さなくてもいい。食事の重要性を骨身にしみて感じたのだった。

 その晩、キャサリンは出張先のニューヨークでの5日間のことを、饒舌にペラペラと話し始めた。美容関連のショー、見本市があったらしい。彼女は営業の第一線でトップ・セールスをしていたのだ。最初は仕事の話だった。「大きな商談がまとまりかかっている」と喜んでいた。

 当時、彼女の会社は高級贈答品の石鹸化粧品をつくっていた。

「今までは百貨店や専門店が主な客だったが、新興勢力のウォルマートやKマートとの取引の話が出ている。この安売りの連中と付き合って良いものか、今、迷っているのよ」

 ジョージ君はキャサリンに、日本企業が海外進出したときの話をした。

「最初、日本企業は既存のディストリビューター(卸売業者)や店舗には相手にされなかった。ホンダはオートバイのディーラーに相手にされず、仕方なく自転車屋にオートバイを売り込んだ。セイコー時計も、時計屋に相手にしてもらえないので、宝石屋で時計を売った。
でもこれらの新興日本企業と取引をした会社は、今はすべて、大企業に成長している。絶対に新興勢力と付き合うべきだ」
「ジョージはすごく良いことを言ったね。社内の意見とはまったく違う。実は私もそう思っていたの。うれしい、百万人の味方を得たよう気がする。これからは家に帰って、ジョージと話をするのが楽しみになった」

 やがて、ワインの勢いで、いつのまにか、男と女の話になっていた。要するに、彼女の恋愛相談相手になっていたのだ。彼女の悩みは、自分にふさわしい男がいないということだった。見本市でもいろいろ口説かれたが、どの男も自分にはふさわしくないというのだ。なにを、どこまで妥協して良いのか、見わけが付かないとも言った。

 ジョージ君は彼女の理想条件を尋ねた。

「昔のハズバンド並みの6フット以上(約180㎝)、年収は私と同じか、それ以上。社会的な立場も、中堅企業の社長クラス、大企業なら役員以上、医者、弁護士、大学教授なら妥協の余地もある。学歴は大学院卒以上」

 ジョージ君は聞いていて、可哀想に思えてきた。元モデルだか、会社社長だか、大富豪だか、何だか知らないが、とても寂しい女に思えた。ジョージ君はストレートに言った。

「It is very simple. 非常にシンプルなことだよ。もし口説かれたら、本能的に受け入れられない男はともかく、先に寝てみたら?それから条件は考えるべきだ。体と心が合うか、それを確認することが先決だ。そこから妥協点が始まる。42歳にもなって、子どもみたいなことを言ってないで、寄ってくる男にすぐに抱かれる、淫らな女になったほうが良い。
あなたは本当に美しいが、セクシーではない。心が枯れているからだ。肉体に潤いがない。その魅力的な体が泣いている。本当にもったいないことだ。男と寝た後でもまだ、その条件が気になるなら、その人は結婚相手にはならないかもしれない。それでも好きなら愛人として付き合えば良い。結婚できないからと言って、別れなくてもよい。
あなたには経済力がある。結婚に縛られる理由はないでしょう。あなたに今、必要な人は結婚相手ではなく、愛する男だ」

「ジョージ、お前はいくつになる?」
「29歳になった」
「ずいぶん、過激で、大胆で、生意気なことをいうじゃない?私が古い女だとでもいうの?そんなこと、私に向かって言った使用人は、今まで1人もいなかった。友達でも言わないわ。でも実に的を射た言葉ね。ずっしりと心に響いた。お前は頼りになるね」

 そして、会社の話に戻った。

「会計士のMR.AKIはどうしよう?」
「それは何のこと?」
「彼は入社5年目の日系二世で、会社の財務をすべて握っている会計士だ。全面的に信頼が置けるので、今では会社で、ナンバー2のような存在になっている。だから古参の白人たちが嫉妬をしていてね。このままでは会社の人間関係にひびが入る」

 ジョージ君は正直に答えた。

「私は人間の心は、日本人もアメリカ人も同じだと思う。永い間、会社のために働いてきた社員を高く評価すべきだと思う。年功序列や忠誠心は会社の基本、新参者のMR.AKIのような人間は、タレントとして高い年収で報い、古参社員は精神的に大事にしてほしい。だから古参社員にはタイトル(役職)が必要だ」

 さらに娘の話になった。

「では、娘のマービンはどうしたらいいの?これが私の心臓に突き刺さっている、大きな問題なのよ」
「マービンは明らかに愛情不足だ。あなたの愛と注意を、欲しがっていることは、一目でわかる」
「ジョージ、私が彼女に今までどれだけの金を使ってきたか、わかる?欲しいものは何でも買い与え、子どものころから水泳、バレエ、乗馬をさせてきた。この前も彼女の大好きな車、ダットサン280Zを買ってあげたわ」

 ジョージ君は呆れて言った。

「今、あなたは金の話ばかりしている。マービンに手づくりのセーターでも手袋でも編んであげたらどうだ?日本では、それが本当の母親の愛情だと考える。でも今の社長業をしているあなたにはそれは不可能だ。正直、彼女の問題は時間が解決するしかないかもしれないね?妙案はない。大人になるまで待つしかないだろう」

 キャサリンは嬉しそうに言った。

「ジョージ、本当にありがとう。こんなストレートで楽しい会話は久しぶりだわ。私はもう疲れたから眠るわ、明日またこの話の続きをしましょう」

  トークでも、キャサリンの心をつかんだ、ジョージ君であった。

(つづく)

【浅野秀二】


<プロフィール>
浅野秀二
(あさの・しゅうじ)
立命館大学卒業。千代田生命保険相互会社(現・ジブラルタ生命保険株式会社)、JACエンタープライズ(米サンフランシスコ)で勤務。

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