小説『ジョージ君、アメリカへ行く』(35)女のパンツを洗う日々
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キャサリンの家の庭師はバスク人だった。バスクとは、フランスとスペインの両国にまたがり、ピレネー山脈の両麓にある地名で、今はスペインの「バスク自治州」となっている。紀元前にスペインに進入した匈奴が帰った後、そこに残った末裔と聞いたことがある。アフリカからきたクロマニョン人という説もあるが、正確なことは誰もわからないらしい。
とにかく、周辺の人々より、背は低く、言語はラテン系ではない。どこにもない言語体系らしい。日本で有名なバスク人といえば、インドのゴアを経由して日本まできたとされる、フランシスコ・ザビエルである。彼は日本女性のあそこが横に割れているという噂に異常に興味を抱いて、日本を目指したとされている。彼がそれを確認したかどうかは知らない。
とにかくジョージ君はそのような話を本で読んだことがあった。アメリカの移民史のなかでは、バスク人の長男は14~16歳になると、牧童(カウボーイ)として、アメリカに出稼ぎにきた。多くは金を貯めて故郷へ帰り、両親のために土地を買い求めた。それが長男としての務めだった。長男の稼ぎが両親や弟妹の生計を支えた。貧しさは人の絆を強くする。それに比べ、アメリカ人の富豪の暮らしは家族の絆が弱く、むなしく感じられた。ジョージ君はアメリカの富豪の暮らしを羨ましいとは思わなかった。
さて、そのバスク人庭師は寡黙で、英語もほとんどわからなかった。ジョージ君と顔を合わせるとニコっと頬笑むが、言葉は発しなかった。やはりスペイン人のような顔をしていた。お掃除おばさんはキプロス島出身のギリシャ人だった。太っていて、おしゃべりで、何も気にしない、典型的なギリシャの明るいおばさんだった。ジョージ君の顔を見ると、話しかけてくるが、ギリシャ語と英語のちゃんぽんで良くわからなかった。それでも親しげに一生懸命話しかけてきた。
当時、トルコとギリシャがキプロス島の領有権を求めて戦争をしており、さかんにそのことをジョージ君に訴えた。どの人種も祖国のことが気になるようだった。祖国を離れないと本当の意味で愛国心はわからないような気がした。
そのお掃除おばさんがくる予定だったある日の朝、キャサリンに電話があった。「母国の母親が病気になったので、バケーションが欲しい。2週間ほどで帰ってくる」。さぁ困った、誰が掃除をする。
食事はジョージ君がつくることで納得したが、掃除は絶対に拒否しようと心に決めていた。これ以上の妥協はできない。キャサリンは、掃除する人は何とか探すと約束をしてくれたが、問題は洗濯だった。一応、ほとんどの物はクリーニングに出すことになった。しかし、キャサリンが言った。
「下着までクリーニングに出すわけにはいかないな。ジョージは、どうせ自分で洗濯をしているのだろう。君の洗濯物と一緒に私たちの物を投げ込んでも良いから、下着だけは君に洗って欲しい」
「パンツぐらいなら、何とかします。それ以上はできません」
「いや本当に下着だけだ。OKしてくれるか?君は料理がうまいからきっと下着洗いも、私を満足させるに違いない」と変な褒め方をした。
割り切れなかったが、毎日、キャサリンと16歳の娘のパンツを洗うハメになってしまった。初めてキャサリンのパンティーを見たとき、その大きさに驚いた。やはり白人は見た目以上に腰が大きいのだ。
ジョージ君は変態ではないが、思わず、それを広げて太陽にかざしてみた。薄汚れたパンティーを見たとき、不思議と好奇心は沸き起こらなかった。ジョージ君は自分のパンツを投げ込み、キャサリンのパンツを腫れものに触るように親指と人差し指でつまんで洗濯機に落とした。無造作に洗剤をいれ、洗濯機のなかを覗き込んだ。やがて2つのパンツがもつれ、渦を巻きながら、吸い込まれていった。
妙な感情が起こってきた。ここで、ジョージ君が変態だったなら、きっと2枚のパンツがもつれる姿をみて、喜びを感じていたかもしれない。ところが逆の感情だった。涙が出てきた。悲しみや、怒り、しまいには白人女のパンツを洗うことは、日本男子として侮辱されているような、深い後悔の感慨がわいてきたのだった。
“ジョージ、お前はアメリカまできて、何をしているのか?日本男子の恥だ”そんな声が聞こえてくるような気さえした。両親が泣いていると思えた。“どこまで落ちていくのか、ジョージ…”軽蔑の眼でジョージ君を見ている日本の友達の姿が思い浮かんだ。
そこで、中国の故事を思い出すことにした。「臥薪嘗胆」である。呉が、越との戦争に負けて呉の王さまが殺された。殺された呉王の息子はその恨みをはたすため、父を殺された怒りを忘れないよう、ごつごつした硬い薪の上で寝、苦い肝をなめて、仇討ちの機会を待った、という話だ。高校の故事・古文で習ったストーリーだ。
キャサリンにはなんの恨みもないが、彼女のパンティーこそ、ジョージ君にとっての「臥薪嘗胆」の象徴だった。毎日キャサリンのパンティーを陽にかざし、この屈辱を忘れず、絶対にアメリカ人にも、この境遇にも負けないぞと心に誓うことにした。
お掃除おばさんは2週間どころか、1カ月も帰ってこなかった。そう、パンツを洗う日々は1カ月も続いたのである。誤解があるといけないので、ジョージ君の名誉のために一言付け加えたい。ジョージ君がパンツの中身を見たいと思ったことは不思議と一度もなかった。しかし、彼女のために食事をつくり、パンツまで洗う関係になったことで、より一層何でも話し合える雰囲気になった。良好な関係を非常に短期間でつくれたことに、ジョージ君は心から満足をしていた。外国人と親しくなるために、食事を一緒に食べ、酒を飲み、相手の懐にはいる(ここではパンツを洗うことだが)。
人間関係なくしては何も起こらない。国境も言葉も関係ない。相手のために役に立とうとする情熱があれば、道は開ける。それが、今回はキャサリンのパンツを洗うことであった。これで二流の商社マンぐらいならなれるかもしれない。
(つづく)
【浅野秀二】
<プロフィール>
浅野秀二(あさの・しゅうじ)
立命館大学卒業。千代田生命保険相互会社(現・ジブラルタ生命保険株式会社)、JACエンタープライズ(米サンフランシスコ)で勤務。関連キーワード
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