2024年12月27日( 金 )

小説『ジョージ君、アメリカへ行く』(40・最終回)喧嘩相手

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 ある朝、雨が降っていた。ジョージは空を見上げて、思わず一言つぶやいた

「雨か、学校には行きたくないな」

 キャサリンはそれを聞きもらさなかった。

「今、何と言った?雨が降っているから学校に行きたくない?
 日本のサムライはその程度か。アングロ・サクソンは決してそのようなことは言わない。
 そもそも、天候を左右する力が君にはあるのか?ないだろう。できないことに文句や苦情を言ってはいけない。
 イギリスのスポーツを知っているか?ゴルフもラグビーも、雨が降ろうが、雪が降ろうが、大風が吹こうがやる。
 それがアングロ・サクソンだ。
 日本のサムライはなんて軟弱な精神をしているんだ!」

 これにはジョージ君も返す言葉がなかった。

 こんなこともあった。ロシア人宇宙飛行士が地上に降りた、という写真が新聞に載っていた。モンゴル系、中央アジア出身のソビエト人だった。アジア系の顔である。

 キャサリンはその写真を見るなり、「He looks like a Jap!」と叫んだ。ジョージ君は「JAPは日本人を軽蔑した言葉だから、少なくとも私の前では使わないで欲しい」と訴えた。しかしキャサリンは「JAPにJAPと言って、何が悪い」と開き直った。

 そこでジョージ君は言った。

「やめて欲しいと言っているのだから、やめればいいでしょう。それが嫌なら、あなただってヤンキー娘なのだから、今日からヤンキーガールと呼ぶことにしましょう。それでもOKですか?HEY YANKEE GIRL!」
「待って、待って、それはいくらなんでも困る。
 私はいままでたくさんの日系人や日本人と知りあった。彼らの前でもいつもJAPSという言葉を使っていたが、一度も苦情を言われたこともなければ、軽蔑語だと指摘されたこともない。
 今日生まれて初めて叱られた。
 どうしてほかの日本人は私の間違いをいままで黙認してきたのか?納得できない。
 ジョージのように、間違いをはっきりと抗議する人を尊敬する。
 I respect you, You must come from a good family.
 私はあなたを尊敬するよ。
 きっと良い家庭からきたに違いない」

 彼女の素直な態度に驚いた。立場に任せた考え方をごり押しをする、縦社会の日本とは違うようだ。

 アメリカから儒教の国を見ると、その違いがよく理解できる。韓国、中国や日本では、事の善悪は立場によって変わることがある。男女なら男性が、年齢なら年上の人が、基本的に正しい。たとえ正しくなかったとしても、黙っていうことを聞き、わかったふりをしないといけない。上役や年上に対して、大勢の前で間違いを指摘したり、違う意見をいったりすると彼らのメンツが立たない。

 だから日中関係や日韓関係では、欧米のような公平な友好をスタートすることができない。初めから序列で関係が左右されるのだ。歴史の長い中国や韓国に対し、日本は常に敬意をもって接し、彼らがいうことには常に耳を傾けないと、良好な関係を構築できない。儒教の影響を受けた東アジアの国々との外交は難しいと思えた。逆にアメリカ人は、はっきりといえばわかってくれるのが新鮮な驚きだった。

 とにかく、キャサリンとは顔を会わせれば、議論や口論をした。ジョージがキャサリンとは違う視点の意見をいうと、彼女は手をたたいて喜んだ。

 日本の会社社会ではみんな同じような意見ばかりでつまらないと思っていたが、アメリカ人との生活は楽しかった。ジョージ君の東京でのサラリーマン時代は、ごますりやイエスマンばかりだったような気がする。

 それでも関西系は国際人だと思えた。関西人には、違う意見をストレートに言ったり、上司に平気で反論をしたりする輩が多かった。東京の大学を出た同期は、「また関西のバカタレどもが理屈を言っている」と、聞こえよがしに言った。

 仕事に善悪などの価値観を持ち込む必要はない。上司の命令に黙って従って、業績を上げること、それがサラリーマンだと主張した。

 ところが、アメリカでは違う意見をいうと、キャサリンのように、すごく評価してくれる場面が多かった。ジョージ君は子どものころからいつも少数派意見の方に属している、反権力志向だった。独自の物の見方をするのが好きだった。あたりまえの意見をいうなら、議論などする必要はないといつも思っていた。

 いろいろなアメリカ人から言われた言葉がある。

「君が日本から異文化をもってきてくれたことは、アメリカにとって、本当にありがたいことです。その貴重な少数派の意見や考え方は、アメリカの将来に必要な財産となるでしょう」

 日本人のジョージ君だけでなく、他の人種に対しも、彼らは同じ言葉を投げかけた。当時サンフランシスコの空港には、チャーター便で毎日数100名から2,000名のベトナム人の難民がきていた。

 彼らを前にして通りがかりの女性がベトナム人グループに向かって突然、言葉を投げかけた。
「よくアメリカにきてくれましたね。心から歓迎します」と言ったのだ。物乞い以上にみすぼらしい難民にむかって、「何十年後には貴方たちがもってきた貴重な文化、言語、価値観がアメリカに必要な時が必ずきます。リスクをかけてよくこの国にきてくれました。ありがとう」と。

 ジョージ君はこの言葉を聞いて、涙が出て止まらなかった。同じアジア人でありながら、ジョージ君は心のなかで、こんな貧相なアジア人は来なくて良いと思っていたのだった。日本人ジョージ君に、この通りすがりのアメリカ女性のようなスピーチができるだろうか?疑問に思った。

 自分にないものを彼らはもっている、アメリカは偉大な国だ。それは国の広さや、経済力、軍事力ではない。彼らの心の広さが、偉大な国にしたのだ。

 キャサリンにも、サンフランシスコに毎日入ってくる、ベトナム難民のことを聞いてみた。

「貧しいベトナム難民が毎日毎日数1,000名入ってきている。
あなたたち白人はこのアメリカがアジアの難民で溢れかえることを心配しないのか?」

 すると、キャサリンはこう答えた。

「ジョージ、このサンフランシスコからテキサスまで車で走ったことがあるか?このアメリカには人の住んでいない土地が、ミリオン・エーカー(何100万ha)、いくらでもある。
ベトナム人の100万人や200万人の難民など、屁でもない」

 なるほど、土地の広さからくる、心の余裕というやつかもしれない。

    アメリカに来られたこと、アメリカで学べたこと、ベティーやキャサリンの家にホームスティできたことは幸運と思えた。異民族のなかで毎日のように言い争いをすることで、摩擦熱が生じ、大きなエネルギーとなっていた。それがアメリカの成長の原動力にもなっている。

 難民や、移民の果たしている役割はおおきい。聖徳太子の、「和をもって尊しとなす」は貴重な日本人の知恵だが、不調和から発生するあのアメリカン・パワーも、時には日本にも必要だと思えてきた。

 しかし、アメリカの個人主義も、いざという時にはアメリカの独立宣言起草文のなかの、「人は生まれながらにして平等、公平、1人ひとりの幸福の追求」という言葉の原点に帰り、星条旗の前に集結するということが前提となっている。

 ジョージ君はそういうアメリカが好きになっていた。いざとなったら、アメリカのように、1つの旗の下に力を合わせたい。

 日本は当時、「経済一流、政治は三流」と言われていた。政治家たちは聖徳太子の和の心を忘れ、アメリカの個人主義を誤解していた。キャサリンがいうように、「追い付け・追い越せ」の時代が終われば、経済も二流、三流に落ち込む可能性がある。

 日本の会社はアメリカのように多国籍化して生き伸びることができるか?これは文化の問題があり、かなり大変なことだ。韓国や中国企業でも、儒教国以外の国に出て成功するとは、当時はとても思えなかった。

 明治から100年、日本は和魂洋才で頑張ってきた。さて、どこまでそれが通じるか?キャサリンの言葉でいえば、経済の発展段階で通用しない時代が来る?当時のジョージ君にはまだ理解できなかった。

(了)

【浅野秀二】


<プロフィール>
浅野秀二
(あさの・しゅうじ)
立命館大学卒業。千代田生命保険相互会社(現・ジブラルタ生命保険株式会社)、JACエンタープライズ(米サンフランシスコ)で勤務。

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