2024年11月24日( 日 )

オルタナティブがない絶望(後)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

政治経済学者 植草一秀 氏

 支持率低迷が2年も続いた岸田内閣がようやく終わる。古きが廃れれば新しきが興ることが本来は期待されるが、その希望は存在しない。代替のことをオルタナティブと表現するが「オルタナティブがない絶望」が支配している。2023年後半以降に顕在化した自民党裏金事件。政治家は本来、国民に対する奉仕者である。しかし、自分にのみに奉仕する者が日本政治を支配している。腐敗した政治が朽ちるのは当たり前だが、朽ちた政治の土壌からゾンビが現れて再び政治を支配しようとしている。ゾンビを駆逐するはずの救世主が不在である。日本経済の停滞は30年におよぶ。かつての栄光は完全に消滅した。格差は拡大し、圧倒的多数の国民が下流に押し流されている。民主主義の根本は主権者である国民が自らの意思で政治権力を創出することにある。その手立てがありながら、手立てを生かさない。この国を没落から脱出させるために何が必要であるのか。考察してみたい。
※本稿は、24年8月末脱稿の『夏期特集号』の転載記事です。

米国に翻弄される日本経済

 1980年代後半に日本経済はバブルの絶頂に到達した。バブルの生成と崩壊については拙著『金利・為替・株価の政治経済学』(岩波書店)を参照賜りたいが、日本がバブル景気天国に押し上げられ、その後のバブル崩壊地獄に突き落とされた顛末を主導したのは米国である。

 80年代半ばに米国は財政収支と経常収支の「双子の赤字」に苦しんだ。インフレ抑制を目指すポール・ボルカ―FRB議長による高金利政策の影響で経常収支赤字が拡大するのにドル高が進行した。経常収支赤字拡大は米国での保護主義圧力を高め、自由貿易を提唱するレーガン政権は事態を打開するために米ドルの人為的切り下げを主導した。これが85年9月のプラザ合意背景だった。

 日本円は急騰し、円高不況を回避するために日銀は金利引き下げ政策を断行。金利低下は資産価格を上昇させる効果をもち、日本の資産価格暴騰が始動した。87年秋に日銀は金利引き上げを模索したが世界同時株価急落=ブラックマンデーが発生し、米国が日本の利上げ見送りを要請。日本の金融引締めが2年遅れたために真正バブルが発生してしまった。

 80年代末にかけて日本経済は世界を席巻した。日本資本が米国の優良資産を買い占める事態が生じたのである。このなかで89年に大統領に就任したブッシュ・シニアは大統領選において「強いドル政策」を掲げた。実際、大統領選でのブッシュ勝利の瞬間からドル高が始動。日本では円高=金利低下=資産価格上昇のサイクルが円安=金利上昇=資産価格下落のサイクルに転換した。

 BIS(国際決済銀行)の自己資本比率規制では自己資本に株式含み益が組み込まれていたため、日本での株価暴落が銀行の融資圧縮をもたらした。このためにバブル崩壊が激烈なものになった。日本潰しを目的にBIS規制が定められたと見られている。日本は米国の事情で天国に強制連行された後に米国の政策誘導によって地獄に突き落とされた。

 そして、日本の金融市場が阿鼻叫喚の無間地獄に転じた96年、米国は新たな宣戦を日本に布告した。橋本龍太郎内閣が提示した日本版金融ビッグバンの標語である「フリー・フェア・グローバル」のフレーズは米国金融機関トップが首相秘書官に手渡したメモに記されたものだった。

 日本の金融機関が虫の息の状況に転じたタイミングで日本の金融市場開放を米国が仕組んだのである。結果として大半の日本金融機関が外資系企業に買収された。

りそな銀救済の闇

政治経済学者 植草一秀 氏
政治経済学者 植草一秀 氏

    バブル崩壊にともなう金融恐慌の危機を打開したのは小渕恵三内閣だった。公的資金投入による金融市場安定化策を策定する一方、大規模財政政策を発動して日本経済の再浮上を誘導した。日本経済はようやく浮上し、日経平均株価は2000年4月に2万円の大台を回復した。しかし、小渕首相は急逝。密室の談合で森喜朗内閣が生み出された。森内閣は1年で終焉したが重大な置き土産を残した。自民党総裁選における党員・地方票のウエイトを大幅に高めたのである。

 この結果として01年4月に小泉純一郎内閣が誕生した。01年まで日本政治の支配権は旧田中派が保持していた。それが、01年を境に岸信介の系譜を引く清和会支配政治に転換した。この清和会が米国の巨大資本勢力と結託して日本経済の構造を変質させた。その延長線上に現在の国民生活困窮化がもたらされている。

 小泉内閣は米国の指令に基づき、市場原理基軸のいわゆる新自由主義政策を推進した。「改革なくして成長なし」の言葉の響きは良いが、実態は市場原理主義=弱肉強食奨励だった。超緊縮財政政策を強行し、日本経済を再び金融恐慌の淵に追い込んだ。株価はわずか2年で3分の1の水準に暴落。大銀行破綻も辞さないとした政策方針の下で、小泉内閣はりそな銀行をいけにえにした。はたしてりそな銀行は人為的に自己資本不足に追い込まれたが、小泉内閣はりそな銀行を破綻処理しなかった。

 公約を覆してりそな銀行を公的資金で救済する一方、りそな銀行経営陣を一掃して小泉内閣近親者を送り込み、りそな銀行を事実上乗っ取った。りそな銀旧経営トップが小泉竹中経済政策を公然と批判していたために、りそなだけを金融行政が標的にしたのである。

 小泉竹中政治に乗っ取られたりそな銀行は、その後、自民党に対する融資を激増させた。この不正事実を06年12月18日付朝刊1面トップ記事でスクープした朝日新聞敏腕記者は、記事掲載日の前日に東京湾で水死体で発見されたと伝えられている。

米国傀儡野党を排除し清新・真正野党の創設を

 米国を支配する巨大資本は日本政治を支配することを通じて、グローバル巨大資本の利益を極大化させる政策を日本政府に推進させた。その結果が日本経済の停滞と貧困、格差拡大をもたらしたのである。

 小泉内閣の「改革」政策は08年のリーマン・ショック不況に際して惨事を生み出した。企業から解雇された労働者が、所持金も住む場所もなく寒空の下に投げ出され、命からがら日比谷公園の年越し派遣村に逃げ込んだ。小泉改革が国民を幸せにしないことに気付いた日本の主権者が誕生させたのが09年の鳩山由紀夫内閣だった。

 米国の巨大資本は鳩山内閣の破壊に総力を挙げた。当時の民主党内部に米国の指令で動く闇勢力が潜伏しており、この闇勢力による造反で鳩山内閣は政権内部から破壊されたのである。このときの闇勢力が現在の立憲民主党中枢に居座っている。このために、岸田内閣崩壊にもかかわらず政権交代のうねりがまったく生じていない。

 鳩山内閣を誕生させた原動力は、巨大資本が支配する米国傀儡勢力に対峙する、主権者と政治勢力の大同団結にあった。自公政治に対峙する勢力が連帯すれば、日本においても、いつでも政権刷新=政権交代は生じ得る。しかし、これは米国の日本支配勢力にとっての「悪夢」である。鳩山政権誕生のような「悪夢」を二度と引き起こさないために米国の支配勢力は日本政治工作に総力を結集している。

 その手先として活用されているのが連合だ。連合の主導権を握っているのは6産別と呼ばれる旧同盟系の大企業御用組合である。同盟はCIAが資金支援して1960年に創設した民社党の支援母体として設立された。民社党創設の狙いは革新勢力の分断。この使命をいま担っているのが連合だ。

 日本政治を刷新するには米国傀儡勢力に支配される「えせ野党」を排して、真に主権者国民の利益拡大を追求する清新で真正の野党を創設することが必要不可欠である。現状では与党が腐敗しているだけでなく、野党にも腐敗臭が蔓延している。真の国民野党、確かな野党を確立することが日本を窮状から脱却させる起点になると考えられる。

(了)


<プロフィール>
植草一秀
(うえくさ・かずひで)
1960年、東京都生まれ。東京大学経済学部卒。大蔵事務官、京都大学助教授、米スタンフォード大学フーヴァー研究所客員フェロー、野村総合研究所主席エコノミスト、早稲田大学大学院教授などを経て、現在、スリーネーションズリサーチ(株)=TRI代表取締役。金融市場の最前線でエコノミストとして活躍後、金融論・経済政策論および政治経済学の研究に移行。現在は会員制のTRIレポート『金利・為替・株価特報』を発行し、内外政治経済金融市場分析を提示。予測精度の高さで高い評価を得ている。政治ブログおよびメルマガ「植草一秀の『知られざる真実』」で多数の読者を獲得している。

(前)

関連キーワード

関連記事