2024年12月22日( 日 )

回想「失われた30年」のMade in Japan 船井電機が破産(後)

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 「失われた30年」の代表的な消費財は「メイドインジャパンのテレビ」。日本のテレビは2008年に世界シェアトップの43.4%を占めるなど世界を席巻していたが、13年までに中国・韓国勢に相次いで敗れた。その後、「FUNAI」ブランドで低価格帯のテレビを供給していた船井電機は破産に追い込まれることとなる。(文中・敬称略)

創業者の息子が身売りを託した2人の事業家

 坂東浩二は徳島大学工学部電子工学科卒で、ノーベル物理学賞を受賞した中村修二とは同級生。1977年日本電信電話公社(現:NTT)に電子技術者として入社。96年3月マルチメディア開発担当部長。98年通信販売会社のNTTぷららの社長に就任した。

 上田智一は、98年青山学院大学国際政治学部を卒業。アンダーセン・コンサルティング(現:アクセンチュア)に入社。2008年、IT&経営コンサルティング会社・ボールドグロウス(東京・千代田)を設立して社長に就任。

 上田は、M&Aの実績も豊富。15年12月、買収したコンピュータービジネス書籍の出版社、秀和システムの会長兼社長に就いた。船井電機のTOB(株式公開買い付け)を実施する母体になる。

 創業者の長男である医師の船井哲雄は父親が精魂を傾けてつくった船井電機の経営を坂東と上田に託することを決断した。哲雄は、TOBには応じない。TOBが成立後、買い付け価格918円の半値以下の403円で秀和グループに譲渡。これには経営を引き受けてくれた謝礼の意味が込められている。

 秀和システムの完全子会社である秀和システムホールディングス(HD)がTOBを実施して成立。21年8月上場廃止になり、株主は秀和システムHDと船井哲雄のみとなった。

 今回のTOBは、創業者の遺産である船井電機株の問題だ。相続株をめぐるお家騒動や、相続株が外部に流れて乗っ取り騒動になるケースは珍しくない。そうしたトラブルを耳にしている哲雄は、軟着陸を図る。投資ファンドではなく、坂東と上田の人物を見込んで、船井電機を売り渡すことにした。M&Aの歴史のなかでも、極めて珍しいケースだ。

最大の失敗は、創業者が
事業譲渡をしないまま亡くなったこと

イメージ    しかし、船井電機の再建は、M&Aの芸達者に手玉に取られて失敗に終わる。

 秀和システムによる船井電機の買収の際、「秀和側がりそな銀行から借り入れた180億円は、船井電機の定期預金が担保とされ、今年5月、回収されていた」(読売新聞オンライン10月30日付)。秀和側が船井電機の資金で買収し、買収以降、船井電機から約300億円の資金を引き出していたのだ。

 23年3月、持ち株会社体制に移行し、船井電機ホールディングス(HD)に社名を変更。船井電機HDの傘下に「船井電機」が設立され、不動産を除く旧船井電機のすべての事業が継承された。

 23年4月、船井電機HDは脱毛サロン「ミュゼ」を展開するミュゼプラチナムを買収。テレビ事業の成長余地は限られていることから、美容事業を新たな柱に据える考えであったが、1年弱で売却した。ミュゼの広告会社への未払いにより、子会社・船井電機の株式の大半が差し押さえられるなどの経営混乱の中、船井電機HD社長の上田智一は24年9月27日、退任した。

 船井電機については、10月24日に準自己破産の申し立てが行われ、東京地裁は即日、破産手続きを開始する決定を下した。準自己破産の申立人は創業者の関係者で取締役の男性だった。これで2,000人の従業員全員が解雇された。

 最大の失敗は、創業者が生前に事業の譲渡を決めていなかったことにある。遺産を相続した医者の長男は、M&Aの達人に手玉に取られ、船井電機はマネーゲームのカードに利用されて消滅した。創業者にとって、事業の継承は最後の大仕事であることを教訓として残す結果となった。

(了)

【森村和男】

(中)

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