「洗脳世代」からの提言(4)「フランスで得たもの」
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福岡大学名誉教授 大嶋仁 氏
ソ連への留学をあきらめた私がフランスを留学先に選んだことは、いろいろな意味で正解であった。
1つは近代ヨーロッパを代表するデカルトの哲学を体験したことだ。ただ読んだのではない、これは大変な言語体験だった。
というのも、彼の言語世界はやたらに明快で、手にとるようにわかる。ところがほかの一方で、妙に論理を端折るところがあって戸惑う。その戸惑いをなくそうと必死にテキストを追い詰めると、まるでそれまで使っていなかった脳の一部が動き出したように感じる。「そうか、これが数学なんだ。これが論理なんだ」と妙に納得させられもした。
ショックだったのは、それまで私が親しんでいた小林秀雄の文章が、何を言っているのかさっぱりわからなくなったことだ。彼の文章は私の言語の一部であったはずなのに、それが信じられないほど遠いものに感じられた。つまり、アイデンティティーの一部がもぎれたのだ。
このショックはなかなか消えず、帰国後に小林秀雄を読み直し、日本文化を考え直すことになった。今もって私が日本文化を考え続けるのも、このショックの所産だ。
フランスでは、「世界」を知ることができたのも大きな収穫だ。フランスはフランス人だけの国ではなく、他のヨーロッパ人もいれば、アラブ人もユダヤ人もおり、アルメニア人もいればベトナム人もいる。さらに、ブラック・アフリカの人間もいたのだ。そういう人々を日々目にするにつれ、その何人かと親しくなるにつれ、私は「世界」というものに目覚めた。
このことは、自分も、日本も、「世界」の一部だという認識をもたらした。この認識こそは、私の文化意識の原点となるものだ。日本に戻ってから思った。「この日本も、日本人だけのものではない」と。
知的な意味で私がフランスで得た最大のものはレヴィ=ストロースだろう。人類学など考えもしなかった私だが、たまたま知り合ったドイツ人の建築家が私に『野生の思考』という本をくれた。それを日本に持ち帰って読み始めると、文章は難解なのに引き摺り込まれたのである。
その文章は、私が慣れ親しんでいたデカルトの論理とはまったくちがう論理をもっていた。「これもまた論理なのか?」と首を傾げたが、読めば読むほど、私自身の考え方をフランス語で説明してもらっているような気がした。不思議だ。「この人、どこの人なの?」と思った。日本人がフランス人の理屈を身につけて喋ったら、こんなふうになるのかと。
『野生の思考』は「未開社会」の考え方を解明したものだ。「未開社会」には西洋人が理解する論理はないが、それが論理でないとは言い切れない、というのも「未開人」は「概念」のかわりに「記号」を使って考えているからだ、そう著者はいう。しかも、彼らの考え方は「間に合わせの材料でなにかを組み立てる日曜大工仕事」のようなものだ」ともいうのだ。
これを読んだとき、私は大喜びだった。「おお、ここに日本文化を理解するカギがある。日本文化が世界において意味をもつとすれば、ここにあるのだ」とわかったのだ。
以来、日本文化は一種の知的「日曜大工仕事」であり、だから一見して論理的整合性はなくても、それなりに機能してきたのだと思うようになった。「日曜大工」は間に合わせの材料でなにかをこしらえる。中国や欧米から素材を取り寄せ、適当にそれらを案配して何とかやってきた、それが日本なのだ。
この理解が私を「洗脳」から解放した。日本を人類文化の1つとして認め、その基礎的部分が「未開社会」的であることは、その分、「文明の垢」にまみれていないことを示しているのだと納得した。
しかし、そうなると今度は明治以降の日本がいかにも醜い歴史の歩みを続けてきたことが見えてくる。明治以来、日本は欧米が「未開社会」を破壊してきたように、自らの文化の破壊に腐心してきたのだ。それが日本が世界に生き残るための手段であったことは理解できても、それで「よかった」ことにはならない。
日本が西欧式の帝国主義を目指した結果が第二次世界大戦での敗北であり、戦後の「洗脳」である。一体、いつまでこれが続くのか。
これがいつまでも続かないことは、現在の世界情勢が示しているように思う。アメリカ主導の戦後体制が崩れ、ヨーロッパが弱体化し、ロシアが欧米に抵抗し、中国が台頭してきていることで、世界全体の多極化が進んでいるからである。
おまけにトランプが大統領になったことで、アメリカ外交の本来の横暴さがあらわになっている。日本はこうした情勢をしかと見据え、体制を徐々に変革していかなくてはならない。
しかし、それよりなにより、私は日本人がもう少し己の文化を大切にすべきだと思う。そのためにはこの文化をしっかり見つめることである。そのためには、「洗脳」から1日も早く脱皮しなくてはならない。「洗脳世代」としていえるのは、それだけである。
(了)
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