岩手県大船渡の山火事の背景~里山の惨状について
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福島県在住で情報発信をしている千葉茂樹氏から、岩手県大船渡市で延焼中の山火事の状況についてレポートが届いたので共有する。
現在、岩手県大船渡市で山火事が続いています。
私の結論:ここまで大きくなると、戦時中に行った「建物疎開」かヤマトタケルの「迎え火」でもしないとなかなか消えないと思います。延焼物がなくなれば、火の勢いは弱くなります。ただし、建物疎開方式、迎え火方式も火の延焼方向を読まなければ意味がありません。なお、現在の日本では「失敗したときに責任追及をされる」ので、誰も実行しないと思います。
ニュースで大きく取り上げられていますが、解説で取り上げられていないことがありますので、書かせていただきます。誰でもわかることですが、降雨量が少なく、乾燥しきっていますので、延焼が続いています。
気象庁 https://www.data.jma.go.jp/cpd/longfcst/monthly/202501/202501m.htmlしかし、解説のどなたも「里山の惨状」のことを話してはいません。かつては、里山に人が入り、自然と共生していました。ところが、現在の里山は荒れ放題です。
昔の山には「防火帯(延焼防止帯)」がありました。
防火帯 https://jifpro.or.jp/tpps/conditions/conditions-cat04/f03/
その多くは、尾根につくられました。また、人が毎冬に炭焼きに入るため、樹木が伐採されて、このため「ある種の防火区」ができていました。
具体的に書きます。安達太良火山の地質に行っていた2000年頃の話です。市販の登山マップに登山道が記載されていないので、地元の大玉村役場に行きました。山に頻繁に行っている方が出てこられ、詳しく教えていただきました。「今は使っていない林道があり、ゲート(鍵なし)を開けて終点まで行く。そこから先は、細道を歩き、稜線に出る。稜線に出ると『防火帯』があるので、それを歩くとガレ場に出て、山頂まで行くことができる」。実際に、防火帯にたどり着くと、幅数メートルの土塁のようになっていました。ただし、手入れがまったくされていないようで、木や草が繁茂し、人が歩くところだけが道となっていました。
昔は、人手がはいり、土塁は草木のない「本当の意味での防火帯」になっていたと思います。私が行った頃は、荒れ放題の残骸でした。
こちらの山の調査です。https://www.jstage.jst.go.jp/article/agcjchikyukagaku/64/2/64_KJ00006164256/_pdf/-char/ja
J-STAGEの論文では、写真が真っ黒に潰れていますので、読みたい方はこちらからダウンロードしてください。
https://okurin.bitpark.co.jp/d.php?u=b8deeeM7ku3oYixまた、最後の勤務地の阿武隈高原の平田村の里山を歩いたときにも稜線に「防火帯」がありました。こちらは、防火帯の中央に「バラ線」がありました。
この「バラ線」も稜線全域にはなく、多くの場所で朽ち果て一部に残骸が残っていました。おそらく30年以上も前のものと思います。
実際には、草木が生えて、「防火帯」の機能を失っていました。このほか、福島市南部の里山にも「防火帯」の残骸がありました。昔は手入れをしていたが、ここ30年ほどは放置といった状態でした。
福島市南部の里山の話です。里山の小さな沢に「炭焼き窯の跡」がありました。この「炭焼き窯の跡」はどの沢にもありました。おそらく、毎年、沢を代えながら、周辺の木を伐り、炭焼きをしていたのかと思います。これで、人々の生活のなかで無意識のうちに「防火(延焼防止)地帯」ができたのかと思います。
私が頻繁に地質調査に入っていた1980~2010年頃は、里山と人々との濃密な関係を示す痕跡(小道)がいっぱいありました。また、当時の営林署もいたるところにあり、山のなかに管理用の林道(軽トラが1台やっと通れるような道)が蜘蛛の巣状にありました。ところが人々が山の資源を使わなくなり、営林署が統廃合で減少し、誰も山に見向きもしなくなりました。それが現状の里山の惨状です。
里山は、柴刈りもしなくなったので「薪の山」、防火帯も消え失せ、いったん火が付けば「燃え放題」となりました。何か、現代の人間は「カチカチ山のたぬきさん(自分の危険に気が付かない)」に見えてきます。身近なものの重要さを忘れると、とんでもないしっぺ返しに会います。
なお、私は以下のことを、事あるごとに話してきました。
「都市部には、仕事のない若者や低賃金であえいでいる若者が多くいます。この人たちを公務員あるいは準公務員として雇い、山里に住んでもらい、里山の手入れをさせればよいと考えます。(この人たちを放置しても、やがて年を取り、『生活保護』を受けるようになり、お金がかかるようになります)。さらに、危険手当やへき地手当など給料が高くするような方策を講じれば、若者が集まると思います。現状のように、里山を放置すれば、そのうち都市部にも影響がでます。影響が出てから策を講じても、手遅れになります」現状、その不安が出始めています。なお、若者が山里に住んだら、「子どもの学校はどうするの」と指摘する方がいると思います。これに関しても私は以下のようなことを言ってきました。
「最近、子どもの減少が進んで、山間部の学校の『閉校』が進んでいます。学校がなくなれば、若者は子育てのために、都市部へ出ざるを得なくなります。私なら、山間部に小規模の学校をつくり(常駐は各校数名)、教科ごとの先生をローテーションで回すようにします。一種の『移動図書館』のような感じです。生徒たちも、先生方が移動することにより、いろいろな先生と接することができます。(学校をなくし、生徒をスクールバスで集めればよいという考えは、生徒に時間的なロス・負担を与えます)。財政的に見ても、先生の数を増やさずに教育活動ができます。もう1つは、学校がなくなれば、その学校相手の経済活動で生活していた人々が生活できなくなり、里山を離れるからです。病院なども同じようにすればよいと考えます」関連記事
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