【特別寄稿】食料安全保障とフードテック
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東京大学大学院
特任教授・名誉教授 鈴木宣弘 氏フードテックにおいて、日本は大きく出遅れている。世界の食料需要量は今後も増大が見込まれること、今の農業・食料産業が温室効果ガスの最大の排出源になっているとの理由から、グローバル企業を中心にフードテックを推進すべきとの主張がなされる。しかし、昆虫食、人工食品、無人農場の開発・利用を推進すべきとの主張には論理の飛躍があり、注意が必要だ。求められるのは環境・生態系に優しい農業であるべきで、そうした視点からフードテックについて検証を行う。
なぜ、フードテックなのか
フードテックとは、生産から加工、流通、消費などへとつながる食分野の新しい技術およびその技術を活用したビジネスモデルのことをいう。こうした分野への投資は世界的に拡大しているが、日本は大きく出遅れていることをデータが示している【図1】。
これを推進すべき主な論理はこうだ。背景として、①人口増加などで世界の食料需要量は今後も増大が見込まれ、2050年には10年比1.7倍(58億トン)になる見通しである(農林水産省)。②今の農業・食料産業は温室効果ガスの最大の排出源(全体の31%、【図2】)になっている。
こうしたなかで、温室効果ガスの排出を減らすためのカーボンニュートラルの目標を達成するためにも、増大する食料需要に対応する食料安全保障のためにも、農業の生産方法を遺伝子操作技術なども駆使した「代替的食料生産」に置き換えていく必要があり、また、そこにビジネスチャンスがあるというのである。そして、日本はフードテック投資が世界に大幅な遅れをとっているので、国を挙げた取り組みの必要性が力説されている。
その技術とは、具体的には、人工肉、培養肉、昆虫食、陸上養殖、植物工場、無人農場(AIが搭載された機械で無人でできる農場経営)などと例示されている【図3】。温室効果ガス排出の多さから各たんぱく質を評価すると、最も多い牛に比べて豚は約3分の1、鶏は約5分の1、昆虫食では鶏よりもさらに少量だとの解説もある。
しかし、20年の日本財団によるアンケート調査結果も、日本の若者は必ずしもフードテックを肯定していないことが示されている【図4】。
【図4】 昆虫食などで儲ける動きに世界の農家が怒りを爆発
フードテック推進に関連して、世界的にも懸念される動きがある。今、世界的に農家はコスト高で苦しんでいるが、それに加えて、欧州を中心に、農業が地球温暖化の悪者扱いにされ、農業への環境規制が過度に強化されるなど、畜産農家らが継続できない事態に追い込まれているとして反発が強まっている。
たとえば、高速道路を農家が人海戦術やトラクターで封鎖して、中心部の店から食料を消してしまう。「わかったか、No farmers, No foodだ」と。それを市民も支持している。こんなことが世界では起こっている。
日本の農家は世界でも最も厳しい状況にあると言っても過言ではないが、それでも、本当に我慢強い。ちょっと我慢強すぎるのではないのか、もうちょっと怒ってもいいのではないのかいうぐらいの状況だ。
それから、欧州での農業攻撃とも関連して、日本国民も考えないといけないのがコオロギだ。通常の食料生産の苦境を放置しておきながらコオロギを食べましょう、という具合になっているのではないか。まずは普通の食料をどうするのかというと、いや、実は地球温暖化の1番の主犯は田んぼのメタンガスと牛のゲップだったんだという議論が出てきた。前出の【図2】のようなデータが基になっている。
田んぼだって何千年も前からあるのだし、牛だってずっと前からゲップしている。工業化が温暖化の主因だと考えられるが、それを、悪いのは農業、畜産、漁業だと言い始めた。「だから環境に優しい農業に」というならわかるが、それをすっ飛ばして、コオロギと人工肉と培養肉などが強調され始めた。まさに、フードテックの論理だが、企業の次の儲けにつなげようとする意図が明白のように思われる。
ある国会議員が、テレビでコオロギを食べるパフォーマンスもやっていたが、日本では一般的な食品ではない。イナゴは東北を中心にずっと前から食べてきたが、コオロギはそのあたりにいながら食べ続けられてことなかったということは、その事実だけでも何らかのリスクがあることの証左だ。
それを徳島県の高校では給食に出されたほか(そのコオロギを生産・加工していた企業は24年に破産したが)、日本人が食べているさまざまな食品に、コオロギという明確な表示なしに、粉末にして入れられてきている。これは大丈夫なのだろうか。
さらに、24年そうそう、世界経済フォーラムの年次総会(ダボス会議)でも耳を疑う発言が飛び出した。「アジアのほとんど地域ではいまなお水田に水を張る稲作が行われている。水田稲作は温室効果ガス、メタンの発生源だ。メタンはCO2の何倍も有害だ」(バイエル社CEO)「農業や漁業は『エコサイド』(生態系や環境を破壊する重大犯罪)とみなすべきだ」(ストップ・エコサイド・インターナショナル代表)。
つまり、農業そのものの否定だ。フードテック推進の極端な論理である。ややもすると私たちは、彼らが環境に優しい農業が大事だねと言っているのかと勘違いしそうになるが、そうじゃない。農業そのものを否定し、潰し、そしてコオロギ食などの昆虫食や人工的な食べ物で儲けようとするのが彼らの目的だということが明らかになってきた。
こうした議論は、「工業化した農漁業や畜産を見直し、環境に優しい農漁業や畜産に立ち返るべきだ」と主張しているのではなく、「農漁業、畜産の営み自体を否定しようとしている」意図が強いことに気づく必要がある。プライベートジェット機を乗り回してダボス入りして温室効果ガス排出を大きく増加させている張本人たちが農業を悪者にする欺瞞も指摘されている。
これに日本の動きも呼応している。田んぼを畑にすれば「手切れ金」(一時金)だけ出して田んぼを潰し始めた。また、「田んぼに水を張らない『中干し』の期間を長くしないと施策対象にしない」と言い出した。これは逆じゃないか。田んぼにできる限り水を張ることが、生物多様性を守り、環境を守って、環境にも人にも優しい稲作になるはずだ。それをメタンの問題だけ取り上げて、中干しを延長しないとだめだという。つまり、田んぼに水を張るなという、田んぼを否定するような政策を日本も始めているわけだ。
さらに、もう1つの問題がデジタル農業、スマート農業で、日本もこれらを推進すると言っているが、農家が楽になるのは大事だが、そこにグローバル種子農薬企業やIT大手が目を付けて、「農家さん早くやめてくれ」、農家がいなくなれば、ドローンとセンサーを張りめぐらせて、機械を自動制御する無人農場を投資家に売って儲けるといった話が出ている。
ビル・ゲイツ氏がアメリカの農場を買い占めて、アメリカ一の農場主になっているとのABCテレビの報道も見られた。日本の農地も買っているという。21年の世界食料サミットでこうした無人のデジタル農業を推進するための契機にしようとしたという話もある。絵空事ではない。国がこれを率先してやろうとしたら、地域コミュニティも伝統文化も崩壊する。「一部の企業の儲けのために」が優先されてはならない。
グローバル企業の企てと懸念される世界の農と食
彼らはまともな農業の代わりに、次の儲けのために、コオロギなどだけでなく無人農場を考えているというと、陰謀論だという人がいる。しかし、日本も国策として推進しようとしているフードテックの中身は、先述の通り、まさにこれら(人工肉、培養肉、昆虫食、陸上養殖、植物工場、無人農場)なのだから驚きを禁じ得ない。
今の農業・畜産の経営方式が温室効果ガスを排出しやすいというのであれば、まず、環境に優しく、自然の摂理に従った生産方法を取り入れていくことを目標とするというならわかるが、それをすっ飛ばして、さらに、別のリスクをともなうようなコオロギや無人農場に話をつなげているところの誤謬に気づく必要がある。
「今だけ、金だけ、自分だけ」という企業の次のビジネスの視点だけでは、地域コミュニティも伝統文化も崩壊し、食の安全性も食料安全保障もないがしろになる。陰謀論だという人がいるが、フードテックの解説には、その通り書いてある。陰謀論で片付けられないのである。
こんなことを続けたら、IT大手企業らが構想しているような無人の巨大なデジタル農業がポツリと残ったとしても、多くの農漁村地域が原野に戻り、地域社会と文化が消え、食の安全性のリスクが高まり、食料自給率がさらに低下し、不測の事態においては都市部で餓死者が出て、疫病が蔓延するような歪な国になることは必定である。
命や環境を顧みないグローバル企業の目先の自己利益追求が世界の食料・農業危機につながったが、その解決策として提示されているフードテックが、環境への配慮を隠れ蓑に、さらに命や環境を蝕んで、次の企業利益追求に邁進していないか。これで日本と世界の農と食と市民の命は守れるのか。早急な検証が必要である。
人間は自然を操作し、変えようとしてきた。その「しっぺ返し」がきているときに、さらに「不自然」な技術の追求が解決策になるだろうか。水と土と空気、環境が健全であれば、植物や動物の能力が最大限に発揮され、すべてが健康に持続できる。
それを、化学肥料が発揮してきた効果を否定するわけではないが、化学肥料の多投などで短期的にもうけを増やそうとすれば、土壌微生物との共生が破壊され、人間にとっての作物の栄養分も足りなくなる。
土壌微生物が食物を通じて腸内に移ったのが、一部の腸内細菌の起源とされる見方もある。土壌微生物のおかげで、植物の健康も人間の健康も保たれる。だから、「三里四方」などの言葉通り、地域の土と水と太陽で育った旬の野菜などを食べるのが一番健康によいと江戸時代からいわれている。免疫学は植物のもつ抗酸化物質「フィトケミカル」は太陽光をしっかり浴びた露地野菜に豊富だと指摘している。
新技術の開発を否定するつもりはないが、自然の摂理を大切にし、生態系の力を最大限に発揮できるように、基本に帰ることが、今こそ求められているのではないだろうか。本当に持続できるのは、人にも生き物にも環境にも優しい、無理しない農業、自然の摂理に従い、生態系の力を最大限に活用する農業(アグロエコロジー)ではないだろうか。経営効率が低いかのようにいわれるのは間違いだ。最大の能力は酷使でなく優しさが引き出す。人、生きもの、環境・生態系に優しい農業は長期的・総合的に経営効率が最も高いのである。
こうした視点からも、フードテックの推進が、本当に豊かな地域社会の維持、食の安全性と質の確保、食料安全保障の向上につながるのかどうか、十分な検証が必要ではないだろうか。
<プロフィール>
鈴木 宣弘(すずき・のぶひろ)
1958年生まれ。東京大学農学部卒業後、農林水産省に入省。2006年から24年まで東大大学院教授、現在は同特任教授・名誉教授。専門は農業経済学。三重県志摩市の半農半漁の家の1人息子として生まれ、田植え、稲刈り、海苔摘み、アコヤ貝の掃除、うなぎのシラス獲りなどを手伝い育つ。安全な食料を生産し、流通し、消費する人たちが支え合い、子や孫の健康で豊かな未来を守ることを目指している。著書多数、近著に『国民は知らない「食料危機」と「財務省」の不適切な関係』(講談社+α新書)(森永卓郎氏との共著)。
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