世界史の転換を目撃する(後)~トランプ時代の日本
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福岡大学名誉教授 大嶋仁
シリーズ『ドナルド・トランプとは何者か』第3回
当シリーズは、さまざまな方面の専門家にドナルド・トランプの正体について語ってもらう。今回の第3回では、ヨーロッパの歴史・思想に精通する福岡大学名誉教授の大嶋仁氏が、トランプ政権の発足が引き起こす世界の転換について論じる。『西洋の敗北』の著者エマニュエル・トッドは、文藝春秋のインタビューに答えて、「今の日本は何もせず、じっとしているのが賢明」と述べた。彼の国際政治観には納得できない私だが、「なるほど」とそのときは思った。
この歴史の大転換期に、下手に動くことは命取りともなる。一見して消極的ではあるが、「何もしない」ことが積極性に転じる場合もあるにちがいない。
「島国で、“井の中の蛙”になりがちな日本が、何もしないでよいのか?」と疑問を持つ人もあろう。しかし、「井の中」にとどまって、今まで以上に意識を研ぎ澄ませ、外の世界を垣間見続けることもできるのではないか。すなわち、網は広く張っておき、その網に引っかかったすべての情報を精査する。これができればよいのだ。
言い換えれば、これまで以上に「内向き」になることだ。「世界の新しい動きについていこう」などと思わないことだ。ただし、世界がどう動いているかを落ち着いて見測る必要はある。しかも、ロシアや中国から見たら世界はどう見えるのか、インド人はどう見ているのか。そうしたことを念頭に置かなければならない。これまでのようにアメリカ中心の情報網に依拠していたのでは、危険極まりないのだ。
前節で取り上げたジェフリー・サックスだが、彼は日本についてほとんど何も言っていない。唯一言ったのは、「中国との関係を密にして、東アジアの経済ブロックを活性化しろ」である。つまり、対中政策に関してアメリカへの「忖度」などしないほうが良い、ということだ。
彼はヨーロッパに向けて「アメリカの敵になれば危ないが、仲良くすればもっと危ない」というキッシンジャーの言葉を引いた。日本にも当てはまることだと思う。
ところで、「何もしないで待つ」は、ある会社経営者の言葉でもある。120年近くの歴史を誇る旧唐津鐵工所(今は唐津プレシジョン)の社長・竹尾啓助氏は、自信に満ちた口調でこう言った。
「この世界はやっぱり質の良いものをつくるのが一番です。仮に最初は売れ行きが伸びなくても、時間の経過とともに、人は物の良し悪しがわかってきます。そして最後には、これはほかでは真似ができないという精度の高さ、洗練度の高さが勝利するんです。私はそう思って、今はじっと待つことにしています」
この言葉は私の思いに呼応する。実績ある人の言葉として光るものを感じた。「そうだ、これしかない」と思ったものである。
では、「質の高い」製品を生み出すには何が必要なのか? 氏は「こだわりだと思います」と答える。この「こだわり」こそが日本の将来にとってのほとんど唯一の財産なのだ。
彼のいう「こだわり」を私なりに解釈すれば、製品精度についての「要求度の高さ」ということになる。何ごとも厳しく追求する研究心と、これは表裏一体だ。これがなくなったら、日本は終わる。経済の問題であるばかりか、文化の問題でもある。
トランプがどんな旋風を起こそうと、イーロン・マスクが世界をどう動かそうと、いつまでも「こだわり」を持ち続ける文化は滅びないのではないか。そして、その滅びないことが、明日をつくるのであろう。「今すぐ役に立つもの」「儲かるものだけをつくる」という発想とは対極にあるもう1つの発想。一見して、「時代遅れ」と見えるかもしれないが、そこにしか私たちが生き残る道はないように思える。
竹尾氏との会話のなかで、私は日本人の「手の文化」に触れた。「手の文化」とは、「手触りを大切にする文化」のことである。何かをつくったら、その出来具合を自分の「手」で触ってたしかめる文化。これが氏のいう「こだわり」とつながる。
日本はロボット研究が盛んで、開発技術も高いにも関わらず、ロボットの使用はそれほど普及していないと聞く。日本製ロボットも、欧米に輸出されることが多く、国内使用はイマイチ伸びないとも聞いた。もしそうなら、その理由は例の「手の文化」にあるにちがいない。日本では「ロボットに100%任せるわけにはいかない。手触りが必要だ」という「こだわり」があるのだ。ロボットはイマイチ信用されていないのである。
たとえば、世界中で人気のある宮崎駿。彼のアニメの「手描き」に対して「職人的なこだわり」を見せていると評されている。つまり、彼は「職人気質」なのだ。この気質は江戸時代の遺産であるようだが、それを大事に保護し、育て続けなくてはならないのが今の日本である。はたして、それができているのか?
20年近く前、台湾の大学で教えたことがある。学生が全員パソコンを持ち込んで授業を受けているのを見て、驚いた。日本の大学では見たことがなかったからだ。ノートをとる「手」が必要のない時代がそこにはあった。20年後のいま、日本はどうなっているだろう。ボールペンでもいい、あなたは手で文字を書いていますか?
(了)
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