ヨーロッパを総括する(3)ロシア

福岡大学名誉教授 大嶋仁

 ヨーロッパとは単なるEUではない。音楽、美術、哲学、科学、キリスト教、さらには啓蒙思想まで、多様な要素から成る「文明」としてのヨーロッパが、本来の姿である。しかし、そのヨーロッパはいま、アメリカ依存と自己喪失により、自立性と知性を失いつつある。ロシアとの断絶や、日本を含めた他文明との関係も複雑化するなか、真の復興には古典的精神と哲学への回帰が不可欠だ。ヨーロッパの未来を考えることは、同時に世界の未来を問うことでもある。

(3)ロシア

ロシア正教 イメージ    ロシアはヨーロッパか?アジアから見ればヨーロッパに見えるが、ヨーロッパにとっては「アジア的専制主義」の国であり、その文化的風土はヨーロッパとは著しく異なるものとされている。

 一方のロシアはといえば、18世紀前半のピョートル大帝に代表されるように、「ヨーロッパ化」を懸命に進めてきた。ということは、「自分たちはヨーロッパ人ではない」という意識が、常にあるということだ。

 時に彼らは「我らはスキタイの子」と言っており、スキタイとは「アジア系」を意味する。とはいえ、自らを中国人やインド人のような「アジア人」と思っているわけではない。ヨーロッパとアジアにまたがる「ユーラシア人」、というのが最適だろう。 

 ヨーロッパとロシアに共通するものとして、まずは人種がある。ロシア人の中核をなすのはスラブ人であり、スラブ人はヴァイキングの子孫と呼ばれるように「白人」である。また、宗教もキリスト教であるから、これもヨーロッパと共通する。

 ロシア正教はヨーロッパのカトリックやプロテスタントとは異なると言われているが、基本的価値観は共通している。そのことは、面白いことにロシア外相ラブロフが認めている。

 もう1つ共通する点は言語である。ロシア語文法は格変化を有するドイツ語などに近く、インド=ヨーロッパ語の1つであるし、文字表記はギリシャ文字にも似たキリル文字である。そういうわけで、「ロシアはやっぱりヨーロッパ」と考えたくなる。

 ただし、ロシアの古代には「匈奴」が攻め込んでおり、中世にはモンゴルが数世紀にわたって支配している。したがって、「東洋」の文化的影響が残っているはずだ。ヨーロッパがロシアに「東洋」を感じるとしても、これまた不思議ではない。

 過去の歴史を見ると、ヨーロッパとロシアには確執がある。「蒙昧な地」にフランス革命の成果をおよぼそうとしたナポレオンは、ロシアこそは「啓蒙」されるべき地と信じてロシアに侵攻し、モスクワを占領するまでに至った。

 ところが、ロシア軍の意図的な「後退」と「糧道断絶」、さらには「冬将軍」によって、ナポレオン軍は撤退を余儀なくされ、結局はロシアの「勝利」となった。

 同じ失敗はナチス=ドイツもおかしている。ナチス時代のロシアは「社会主義革命」によってできたソ連であった。そのソ連のイデオロギーをナチズムとは相容れないと判断したヒトラーは、「反共主義」のもとに兵を集め、「劣等人種の国」ソ連への侵攻を開始した。ところが、ソ連は例の「後退」作戦と「糧道断絶」と「冬将軍」で勝負し、見事にナチス=ドイツを破っている。

 ところで、この独露戦において膨大な犠牲を払ったのはソ連のほうである。第二次世界大戦で最も多くの犠牲者を出したのも、実はソ連なのである。この大戦は連合軍が勝利し、その勝利は「アメリカのおかげ」と思われているが、これは欧米側の見方に過ぎず、ソ連=ロシアから見れば、そうではない。

 ナポレオンとの戦争を「祖国戦争」と位置づけ、ナチス=ドイツとの戦争を「大祖国戦争」と名づけるロシア人にとって、「祖国」はいかなる犠牲を払ってでも守らねばならないものであり、そこには「合理主義」も「功利主義」もなかった。ロシア人には「損得勘定」はない。だから、大量の犠牲を惜しまなかったのだ。

 このことは19世紀ロシア文学が示す通りであり、また日本人スパイであった石光真清の手記も示している。石光の『手記』は文庫本にもなっている。日本人なら、一度は読まねばならない。

 ロシアとヨーロッパの関係を見ると、これがうまくいかないのは、ロシアのもつ独自性をヨーロッパが評価していないことが原因だと思えてくる。ロシア人は「非合理的・非功利的」であることはわかるのだが、それは「前近代性」の表れであり、ロシア人は文明度の低い「野蛮人」だという評価になってしまうのだ。

 ヨーロッパ人は、かつてナポレオンが考えたように、ロシアは「近代化」されねばならず、そのためには、多少はヨーロッパに近く見えるバルト三国やウクライナを「ヨーロッパ化」し、そこからロシアを攻めねばならないと考えている。ウクライナ戦争の淵源は、まさにそこにある。だが、当のヨーロッパはそれに気づいていない。

 ところで、ロシア人はナポレオンとの戦いやヒトラーとの戦いを「祖国戦争」として位置づけていると述べたが、ロシア人にとっての「祖国」とは何なのだろうか。

 1ついえるのは、これは「領土」的な概念ではなく、「文化」的な概念だということだ。もっといえば、「宗教」的概念なのである。ロシア人を支える「正教」は、「正教こそが真のキリスト教」という信念の上に成り立つ。「祖国を守る」とは、この正教の世界を守ることなのだ。

 ヨーロッパ文明は高度な文明だ。だが、そうであるがゆえに、他の世界を見くびる傾向がある。

(つづく)

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