福岡大学名誉教授 大嶋仁
ヨーロッパとは単なるEUではない。音楽、美術、哲学、科学、キリスト教、さらには啓蒙思想まで、多様な要素から成る「文明」としてのヨーロッパが、本来の姿である。しかし、そのヨーロッパはいま、アメリカ依存と自己喪失により、自立性と知性を失いつつある。ロシアとの断絶や、日本を含めた他文明との関係も複雑化するなか、真の復興には古典的精神と哲学への回帰が不可欠だ。ヨーロッパの未来を考えることは、同時に世界の未来を問うことでもある。
(7)科学
ヨーロッパ文明が誇れるものは音楽と美術と建築と述べてきたが、それ以上に重要なのはキリスト教と科学である。
キリスト教の他の宗教と違うところは、「愛」のポジティブな面を前面に押し出したところにある。その力は世界各地に宣教団を送り込んだところに現れており、新ローマ法王レオ14世のように貧困地域に赴き、「愛」の手を差し伸べるところに端的に現れている。
近世の日本にきた宣教師にも医療活動を展開した者が多く、日本語を習得してイソップ物語の邦訳をつくりもし、なかには貧しい漁村の村おこしをした者までいる。「宣教師は西欧帝国主義の手先だ」と言われもするが、それだけではなかった。「日本史」というものを最初に研究した人は、ポルトガルの宣教師フロイスなのである。
近世初頭のカトリック宣教団は、赴任先の文化を踏みにじってまで布教をすることは避けたようだ。現地の言語文化に馴染むことを、第一としたようだ。一方、19世紀に渡来した英米プロテスタントの牧師たちは、英語で宣教している。彼らは「自文化中心主義者」だったのだ。
宗教の話はここまでとして、17世紀ヨーロッパに生まれた近代科学について話そう。これほどに現代世界に影響をおよぼしているものはないからだ。その実質は実証精神にある。この精神を学ぼうとしない国は、ほとんど存在しないと言ってよい。
「科学技術といえば、アメリカが一番進んでいる」と思っている人が多い。しかし、アメリカがその財力によって、ヨーロッパの有力な科学者を呼び寄せていることは知っておく必要がある。
しかも、科学といってもアメリカが得意とするのは「理論の構築」ではなくて、「応用」のほうだ。こちらのほうが「金儲け」に直結するからだ。要するに、アメリカが必要とするのは、「科学」ではなくて、実用に役立つ「技術」なのである。
そこで近代科学の理論のほうに注目すると、その出発点からして感動的である。イタリアのガリレオは宇宙を「神が書いた書物」と仮定し、その書物は「数学」という言語で書かれていると信じた。そのため、数学を学べば宇宙がわかると思ったのだ。
この考え方がフランスのデカルトとイギリスのニュートンに伝染し、そこから近代物理学が生まれた。現在、人工衛星が地球の周りを回っていられるのも、ニュートンの発見した法則あればこそだ。
ヨーロッパの近代科学が世界にもたらしたものはあまりにも大きく、さまざまな分野にそれが現れている。宇宙のしくみ、地球の構造をはじめ、生物世界についてのより深い理解、人類の特徴である脳の発達と機能についての理解、アインシュタインの相対性理論、ボーアの量子力学、と例を挙げたらキリがない。
しかも自然科学だけでなく、社会科学も生まれ、経済システムとか政治システムについての理解も深まっている。このような知性の進歩の意義を疑うことはできない。
では、そういう科学に問題はないのかといえば、大ありである。20世紀の科学が大量殺りく用の核兵器を生み出したこと、遺伝子工学が人類のクローンまでつくり出すレベルに達していること、大脳前頭葉の切除手術によって「感情のない人間」を生み出していること。例を挙げれば、キリがない。
問題は、そうなると「一体何が原因で、科学はそうなってしまったのか?」ということになる。
答えの1つは科学が専門化しすぎて、その本当の意義が見失われたことである。本来は哲学と科学が分離できない1つのものだったのに、この2つが分離してしまったことで、科学についての吟味と反省がなくなったのだ。
現代の哲学者で、科学で起きていることをきちんと吟味できる人がどれだけいるだろう。深刻な事態である。
近代科学が宗教を敵に回してしまったことも大問題である。科学を信じれば宗教を否定することになり、宗教を信じれば科学を否定することになるという悪循環が生まれたのだ。これには宗教の側の責任もあるが、本来、科学は宗教の友でなくてはならなかったはずなのだ。
中国の伝統科学を研究したイギリスの科学者ニーダムは言っている。「ヨーロッパ科学は倫理的な目標を失ってしまった。中国やイスラムの科学はそうではなかった」と。そういうわけで、現代世界に浸透している科学には、人類に貢献できる部分も多々あるが、逆に人類を破壊する危険性も見つかるのである。
結論をいえば、科学を総括する知的活動をもっと活発にしなくてはならない。そのためには、ヨーロッパが古代ギリシャから引き継いだ哲学を刷新する必要がある。また、その刷新に協力するかたちで、非ヨーロッパの文明が科学の在り方を提唱し直す必要がある。今や世界全体が1つになる時代。世界全体が協力して、ヨーロッパ科学を鍛え直す必要がある。
(つづく)