世界一の個人資産を誇る天才投資家の健康長寿の秘訣(前)

国際未来科学研究所
代表 浜田和幸

    世界の投資家がいずれも一目を置いているのが「オマハの賢人」とか「投資の神様」などの異名を取るウォーレン・バフェット氏です。自らが立ち上げた投資会社「バークシャー・ハザウェイ」を一代で他を圧倒する成長企業に押し上げました。1930年生まれで、現在94歳ですが、この6月14日に79歳となったトランプ大統領よりはるかに頭脳明晰(めいせき)です。何しろ、トランプ大統領は世間を騒がせることは天才的ですが、言っていることは繰り返しが多く、口から出る数字はほとんどが間違っており、でたらめですから。

 一方、バフェット氏は多少の言い間違いはありますが、検証可能なデータや数字を織り交ぜたプレゼンが得意で、聞く人を魅了するばかりです。家庭生活も円満で、二番目の奥方との相性も抜群のようで、事あるごとに仲むつまじい様子を披露しています。実は最初の奥方だったスーザンさんとの間には3人の子どもを授かり、いずれも成人してバフェット氏の仕事を支えていることはあまり知られていません。

 興味深いのは、最初の奥方が子育ても無事終わったので、「自分の年来の夢であった歌手の道を追求したい」と別居を申し出たことです。そのため、夫であるバフェット氏の活動拠点であるネブラスカ州オマハを離れ、カリフォルニア州のサンフランシスコへ移住しました。朝から晩まで関心のある企業のバランスシートや年次報告書を眺めている夫にはついていけなかったのかもしれません。

 とはいえ、夫のことは心配なので、前夫人のスーザンはオマハで時々歌も歌わせてもらっていたフレンチ・カフェのホステスのアストリッドさんを口説き、自分がいない間のバフェット氏の日常のお世話を頼んだといいます。というのも、アストリッドさんは「誰か人のために役立つことをするのが自分にとって一番の幸せ」と常々語っていたからです。

 当初は、妻の代わりにバフェット氏の身の回りの世話を焼くことに気兼ねしていた模様ですが、すぐになじんだとのこと。しかも、2人の女性はとても気が合っていたため、バフェット氏も食事や身の回りの世話をかいがいしくこなしてくれる女性がいることで安心して仕事にまい進できたようです。端から見れば、奇妙な三角関係でしたが、3人にとっては理想的な人間関係だったに違いありません。

 アストリッドさんは46年にドイツで生まれました。両親はラトビアからの移住者で、彼女が5歳のときにアメリカに移り住んだそうです。しかし、間もなく彼女の母親は乳がんで亡くなったため、彼女は年下の兄弟とともに孤児院に預けられました。そこから高校に通いましたが、大学には進学したものの、学費が払えず中途退学せざるを得なかったそうです。

 その後は職を転々とし、最終的にはオマハのレストランで働き、そこでバフェット氏の妻のスーザンさんと親しくなりました。幼いころから苦労し、たくましい生き方を身に付けてきたことが幸いしたのでしょう。スーザンさんはアストリッドさん以外にもバフェット氏のお世話係を頼んでいましたが、節約志向の強いアストリッドさんがバフェット氏とは一番気が合ったようです。

 何しろ、世界有数の大富豪になっていたバフェット氏のために食事や洗濯などの家事を任されていたのですが、とにかく無駄使いをしません。何を買うにしても一番安値で手に入れるために労を惜しまなかったとのこと。バフェット家の生き方と合致していたわけで、その点でも気に入られたと思われます。

 その後、2004年、最初の奥方のスーザンさんは病気でこの世を去ることになりました。その時点では、お世話係のアストリッドさんはバフェット氏の自宅に住み込んでいたとのこと。当時から仲間内で話題になったのは、毎年のクリスマスカードには「ウォーレン、スーザン、アストリッド」と3人の連名でメッセージが記載されていたことです。

 結果的に、スーザンさんが亡くなってから2年後、バフェット氏はアストリッドさんと再婚しました。自然の流れだったようで、結婚式も自宅で執り行われ、出席したのはバフェット氏の娘とアストリッドさんの妹だけというごくごく内輪の会でした。新婦のアストリッドさんは派手な衣装ではなく、シンプルなブラウスとズボンで結婚式に臨み、その後の会食も近所の行きつけのファミリーレストランだったそうです。

 もちろん、バフェット氏にとってスーザンさんは長年に渡り自分を支えてくれた大切な存在でした。スーザンさんが03年からサンフランシスコの病院で闘病生活をするようになると、バフェット氏は毎週末、必ず見舞いに出かけ、食事制限中の夫人に気を使い、自らも大好きなマックやコーラの量を減らし、1年間で体重を20キロ以上落としたそうです。仕事ざんまいのライフスタイルがスーザンさんの歌手になるという夢を阻んでいたことを反省した結果に他なりません。

 注目すべきは、バフェット氏を支えた2人の女性はバフェット家の3人の子どもたちにとってもかけがえのない存在だったことです。長女のスージーさんも「自分たちの母親と父親のお世話をしてくれることになったアストリッドは気が合い、本当の家族同然でした。自分たちも安心して父親の人生を間近に見ながら仕事のノウハウも学ぶことができ、とても感謝しています」と語っているほどですから。

 しかも、地元の新聞の取材に応えて、スージーさん曰く「アストリッドは本当に父を愛してくれています。もしも、父が事業に失敗して無一文になっても、彼女は父を見放すことは決してないでしょう。おかげで、父も私たち子どももとても幸せです」。そこまで血のつながっていない娘に言わせるのは並大抵のことではありません。実際、バフェット氏が再婚後、さまざまなイベントにアストリッドさんを連れて参加するようになりましたが、娘のスージーさんも加わることが多いようです。

 ただ、バフェット氏は自分の子どもたちには遺産を相続させない主義を明らかにしています。自らが稼いだ財産は慈善事業に寄贈するのが「恩返し」という発想の持ち主です。これまでもビル・ゲイツ氏らをはるかに上回る高額の寄付を慈善団体や教育機関にプレゼントしています。

 そうしていなければ、バフェット氏は間違いなく世界最大の資産家として、イーロン・マスク氏などを寄せ付けないナンバーワンの地位を確保していたに違いありません。ちなみに、3人の子どもたちは父親の薫陶を得た影響で、仕事は手伝っていますが、すでに父親からは独立した財団を発足させ、独自の慈善活動に取り組んでいるようです。

(つづく)


浜田和幸(はまだ・かずゆき)
国際未来科学研究所主宰。国際政治経済学者。東京外国語大学中国科卒。米ジョージ・ワシントン大学政治学博士。新日本製鐵、米戦略国際問題研究所、米議会調査局などを経て現職。2010年7月、参議院議員選挙・鳥取選挙区で初当選をはたした。11年6月自民党を離党、無所属で総務大臣政務官に就任し震災復興に尽力。外務大臣政務官、東日本大震災復興対策本部員も務めた。著作に『イーロン・マスク 次の標的』(祥伝社)、『封印されたノストラダムス』(ビジネス社)など。

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