泣きやまない赤ちゃんが、何気ない私のひとことに反応して泣きやむという事例を数多く経験してきた。おそらく聞き慣れた母親の声とは明らかに違う声(音色)に驚いたのだろう。音楽はときに不思議な力を発揮することがある。「音楽療法」という治療法が最近見直されてきた。医療器具や薬を用いずに患者の心に訴えかけ心身に安らぎをもたらす。こんなことが本当にあるのだろうか。ある本に出合って目からうろこが落ちた。
意思疎通のできない患者がチェロの音に涙を流す
『シューベルトの手当て』(クレール・オペール著、鳥取絹子訳、アルテスパブリッシング社)。著者のクレール・オペールはチェロ奏者である。現在の肩書はチェロ奏者、アートセラピスト、作家。1966年パリ生まれ。チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院卒。国際コンクールで数多くの賞を受賞。並行してソルボンヌ大学で哲学を学び、トゥール大医学部でアートセラピストの学位を取得。2011年パリのサント=ペリーヌ病院緩和ケアのスタッフに登録。現在リヴ・ド・セーヌ総合病院の緩和ケア病棟をはじめ多くの病院に活動の場を広げ、音楽療法を駆使した世界的な名セラピストとして知られている。チェロ演奏で患者に安らぎを与える手法を彼女は「シューベルトの手当て」と呼んでいる。たとえばこうだ。
「終末期の患者、四〇二号室のFの介助と治療では、(チェロを奏でると)顔つきがみるみる穏やかになり、最後には『至福の表情』になる。介助が終わった後、彼に会った息子がいう。『父は旅立ちました……人生へ』。看護師が記録する。『ラドキン3(鎮静評価で「3」は目を閉じているが、呼びかけには応答する)の患者が、目に見えて穏やかになった。おかげで私(看護師)のストレスはなくなった。私(著者)も感動した。音楽が病室にいる人全員の感動の核心に触れた』。私は死と愛が、深いところで同じ水脈に流れていることを学ぶ」。
患者の傍らでチェロを奏でる。仙骨の床ずれの患者。鎮静薬を投与され、意思疎通のできない患者に、アルビノーニの《アダージョ》を聴かせる。灰色の大理石のような顔に大粒の涙が流れる。慢性疼痛を患う患者は普段、すべての治療を妨害する。ところがチェロを聴くと途端に暴力的な行為を中断する。マーラーの交響曲第五番のアダージェットにひたり、看護師たちの腕に子どものように抱えられ、ベッドに寝返りさせられている。看護師のメモに、「今日の患者はチェロのおかげでされるがままだった。わたしたちの手を押しもどさず、撫でてくれさえした。その視線ははっきり〝ありがとう〟といっていた」。著者は、「私は彼が新生児のように、周囲への信頼を取りもどす心さわぐ体験を、だまって共有する」と記す。
チェロが持つ人間の肉声に近い音が有効か?
チェロの演奏を生で、それも目の前で聴いたことがある人はまれだろう。私はシューベルトの『アルペジオーネソナタ』(ピアノ伴奏)を手の届く距離で聴いたことがある。レコードやCDとはまったく違う半端ない音量、鼓膜が異常に震える。グサッ、グサッと身体全体を突き刺すような波動とパルス。それでいて気の遠くなりそうなうねりが身動きの取れなくなった身体全体を優しく包み込む。一瞬にして患者の感覚をチェロが奪い取る。これはチェロにしかできない。バイオリンもビオラも迫力に欠ける。金管楽器、木管楽器ではここまで成果を上げられるとは思えない。あえていえばギターかピアノくらいだろうか。それでもチェロにはかなわない。音の表現力がどの楽器よりも図太くてそれでいて柔らかい。チェロが人間の声に近い音を出すといわれているからかもしれない。
私は雑誌『音楽の友』に「クラシックのお仕事!」を連載したことがある。02年7月号に「音楽療法士」を取り上げた。「音楽療法士」とは、文字通り「音楽を使って、障害を持つ人のQOL(生活の質)を高めること」という職業である。当時はまだ国家資格として認知された職業ではなかったものの、将来有望な職業の1つとして紹介した。この世界では先駆的に門戸を開いたのは奈良市である。
奈良市の先駆的な音楽療法への挑戦
まず「日本音楽療法学会」を立ち上げた。医療関係者を中心としたバイオミュージック学会と、福祉や教育・音楽などの分野で活動しているグループを中心とした臨床音楽療法協会を統合。音楽療法についての研究促進、資格制度や普及について行動を共にすることを確認した。その中心で活動したのが荒井敦子である。
大阪音楽大学を卒業した荒井は国家資格が認定される以前に奈良市が自主的に導入した音楽療法に着目し、市内に「音声館」(おんじょうかん)と「音楽療法推進室」をいち早く設けた。「音声館」は地域振興・生涯学習・子どもの健全育成を目的とした実践の場(会場)。「音楽療法推進室」は1997年、音楽療法を市の福祉政策に取り入れるために、奈良市社会福祉協議会に事業を委託。行政が組織した日本初の養成室として注目を集めた。荒井は当時「音声館」の館長でもあった。
奈良市はこの時期から音楽療法のメリットを理解し、準備を進めていた。当然、率先して全国に声をかけ、音楽療法士の育成に力を注いでいる。荒井が主催し運営していた「まつぼっくり少年少女合唱団」がある。ある日、養護学校で「まつぼっくり」の歌を舞台で披露したところ、それまで走り回っていた知的障害を持つ子どもの表情が一変。ニコニコ顔で市長の手を取り、壇上にかけ上がったという。またある施設では、末期医療を受けていた高齢者が、枕もとで歌った子どもたちに、「歌を聴いている間だけ、痛みが消えた」とアンコールを繰り返したという。こうした具体的な実践と結果が音楽療法に対する市民への理解を深めることになったといえる。
作詞家でマルチに活躍した永六輔は、荒井との対談をまとめた『歌の力 音楽療法の挑戦!』(PHP研究所)のなかで、音楽療法でいう「音楽」とは、「クラシックなどの音楽」ばかりではなく、「声明」や「鐘を突く音」も「音楽」だと述べている。荒井も、「五線譜の上の音楽だけじゃなく、奈良の町の環境が音楽。川のせせらぎや虫の声、(奈良公園の)鹿の遠音など、環境のなかの音楽を大切にしている」という。
昔、鎌倉の長谷寺境内で尺八の名曲『鹿の遠音』を聴いたことがある。ふたりの尺八奏者が、釣り鐘のある丘の上と寺の縁側とで互いに吹き合った。離れてしまった親子の鹿が、互いの場所を確認しながら遠ぼえする。夕暮れの境内に二本の尺八が相手に呼び掛けるように忍び鳴くさまは、まるで一幅の水墨画を見ているようで深く感動した記憶がある。
また、真冬の永平寺(福井県)で朝の読経を聴いたことがある。楽譜はあるが、音程(ピッチ)は各自自由に発する。当然西洋音楽のいう「不協和音」になる。ところがその異なる音と音色が互いにぶつかり合い絶妙の音の世界をつくり上げる。広い本堂の天井に向けて昇華していく昇竜のうねりのように聴く者の心に響き渡る。心が静寂さを取り戻し、身体が洗い清められたように蘇生する。これも見事な音楽療法といえよう。
最後に前出のチェリストがいう。「二〇一六年にわたしたちが発表した一一二件の『シューベルトの手当て』の結果から明らかになったのは、患者の痛みが一〇から五〇パーセント軽減されることだ。また患者の不安解消のプラス効果は九〇パーセント近く、看護師へのプラス効果は一〇〇パーセント」と評価しながら、一方で、「けれどもこの研究すべてで、わたしたちは科学的研究の限界を確認するに至ることになる。まず、感情の共有でなりたっていることから、定量化できないところがある。そして患者の痛みの症状を軽減するときには主観が交錯し、この軽減の分析にまちがいなく影響することも」と真摯(しんし)な姿勢を貫く。今後の音楽療法に大いに期待したい。
<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務の後、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ2人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(講談社)『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』『「陸軍分列行進曲」とふたつの「君が代」』『瞽女の世界を旅する』(平凡社新書)など。