福島自然環境研究室 千葉茂樹
国分太一氏の会見が、11月26日に行われた。その後、日本テレビからも再度の見解が示された。これに関して、意見を書かせていただく。
結論からいえば、両者の主張は「平行線をたどり、解決することはない」であろう。国分氏の主張は、日本テレビに対し「コンプライアンス違反とされる個々の案件の開示と検証」である。これに対し日本テレビは、「被害者保護の観点から、開示できない」と主張している。また、組織はいったん結論を出したものを覆すことはない。覆す場合はまれで、多くは外圧、世論である。
国分氏の主張は、自身に降りかかった問題に対し、「どこが、どのように、問題なのかを具体的に示してほしい」というものである。これはもっともな話である。私自身が国分氏の立場であっても、同じことを主張するであろう。また、彼の会見からわかることは、「今回の問題は、彼にとって青天のへきれきで、状況を理解する時間もなく、事態が急激に悪化した」と推定される。あり地獄状態であったのであろう。
日本テレビの行動は、戦略・戦術の常とう手段である。相手側の態勢が整う前に先制攻撃をかけた。1941年12月8日の真珠湾攻撃と同じである。また、国分氏も「国民的な売れっ子」という立場にあり、このような事態になることは想定しておらず、厳しくいえば漫然としていたのであろう。国分氏ならずとも、突然、自分が窮地に陥るとは考えもしない。
今回の問題は、劇的な状況変化がない限り、平行線で終始するであろう。結局は、国分氏を取り巻く人々、強いて言えば国民が、どう判断するかにかかっている。国分氏の逆転があるとすれば、それは支援者の動向である。
私個人の意見としては、公開可能な情報をすべて出し尽くし、公正な立場で本件を裁定していただきたい。
なお、本記事の内容は、国分氏と日本テレビの会見内容以外は、筆者の経験および考えを書いたものである。他者の見解を引用したものではない。
ヒトは、おごるもの
国分氏も会見で述べていたが、国分氏も人気者になり、おごっていたのではないだろうか。おごりは、時として傲慢になり、本人の意識とは別に、無意識のうちに周辺へ威圧を与える。
ヒトは、自分が優位になると、弱者をいじめる傾向がある。私も人生のなかで、強者から何度もいじめられてきた。この行為は、「理性をもった人間」と言いながら、実はニホンザルやニワトリの集団の順位(優劣)関係とまったく同じである。鳥小屋のニワトリを見ると、尾羽が抜けている個体がある。これは順列の最下位のニワトリが、上位の個体から攻撃され、尾羽を抜かれたのである。
また、動物とヒトとの決定的な違いは、「ヒトはうそをつく」ことである。基本的に、動物はうそをつけない。だから、ニワトリの尾羽のように、すぐに目につくのである。
ヒトの目は正しくない
裁判では、第三者の証言が証拠として用いられることがある。ただし、ヒトの目に見えたものは、必ずしも正しくないので、注意が必要である。
まず、原理から。目が捉えた光の信号は大脳に行き、ここで情報処理がされヒトは映像として認識する。ここが大きな問題で、大脳では「フィルターをかけて」映像にしている。このフィルターのかけ方で、出来上がった映像にゆがみが生じる。人の見ているものは「真の映像ではない」。
その一例である。写真1は、何の変哲もないコケ(苔)の写真である。コケにしか見えない。写真2は、これに1円玉を2個置いた写真である。なんと「動物の顔」に見えてくる。脳の認識(フィルター)により「見え方が変化」したのである。これは、ヒトが野生だったときの名残である。森林や草原で生活していた時代に、ヒトは常に「野生動物の脅威(攻撃)」に晒された。このため、野生動物を見た瞬間に、戦うか逃げるか即断しなければならなかった。だから、丸いものが2つあれば、動物の目、そして顔に見えるように、脳にフィルタリングされているのである。これは一例であるが、脳にはこのほかにも多種のフィルターがある。ヒトが見ているものは、このようなフィルターを通した映像である。ヒトが見たものを証拠とする場合は、注意が必要である。


また、ヒトは「思い込み」や「過去の経験」で物を見ることがある。脳に映る像はある意味「意図的」となる。私の場合、野山を歩くと、極端にいえば「黒い物体はすべてクマ」に見え、立ち止まって確認する。多くの場合、遠方なのでコンパクトデジカメの望遠レンズで撮影し、液晶を見て確認する。なお、実際にクマに遭遇しても襲われることはなかった。これは、野山では常にクマを警戒しているためなのかもしれない。
まとめれば、「目に映ったものは正確とは限らない」。ここが重要で、ヒトの目視情報には、本人の意図とは無関係に「うそが含まれてしまう」ことがある。
同じようなことは、聞いた音にもいえる。タモリ氏が番組でよくやっていた「空耳アワー」である。これも目と同様に、大脳が勝手に判断(フィルタリング)するからである。だから、ヒトが聞いたとする音も、正しいとは限らない。別な言葉でいえば、ヒトは「思い込みで聞いている」ということである。
ヒトの証言の問題
以下は、高校の生徒指導部長をしていたときの経験から、差しさわりのない範囲で、書かせていただく。
学校で問題行動があると事情聴取となる。この事情聴取にはいろいろな問題があった。以下は、その代表的な問題である。
1. 同じ事象でも、ヒトによって見え方が違う(上記)。
2. 記憶も違う。
3. 時としてうそをいう。
4. 聞き取り側にも問題がある。
5. 対処法
1は、基本的にヒトは「主観(自分本位)」で物を見て記憶することから生じる。だから、同じものを見ても、見る人によって見え方がまるで違う。要するに、「自分勝手な物の見方」である。
2は、見えたものや聞いたものを脳に記憶する場合、ヒトは「自分に都合よく解釈」し記憶する。公平(第三者的)ではない。これは1と共通する。また、記憶能力もヒトによって異なる。さらに、ヒトは自分が大切と思うことはよく覚えているが、そうでない場合は覚えていない。要するに、ヒトの記憶は曖昧であてにならない。
3は、字のごとく、自分に不利なことは言わない。また、時として他人に問題をなすり付ける。また、「知らぬ、存ぜぬ」を貫き通す場合もある。
4は、聞き取り側の問題である。学校では問題が起きると、生徒に対し、教員が個別に聞き取りをする。ここで聞き取り側の問題が生じる。聞き取った内容に「矛盾点」があるのに、そのまま報告する者もいた。また、思い込み(この生徒はこんな生徒とレッテルを貼る、一種のフィルタリング)で、事情聴取する者がいた。要するに、正確な(公正な)事情聴取となっていない。これらが原因で、提出された個々の報告書は正確でないことが多く、私は再度、生徒から事情を聴くことが多かった。これは、可能な限り正確な情報による裁定を行わないと、生徒に不満が残るからである。
5対処法は、証言の突き合わせである。4とも連動する。うその証言には、必ずと言ってよいほど「矛盾点」がある。この論理の矛盾点を突けば、うそは見抜ける。ただし、うそをつく側も考えているので、聞き取り側の「鋭い勘」も必要である。なお、この検証には膨大な労力を要する。
(つづく)
<プロフィール>
千葉茂樹(ちば・しげき)
福島自然環境研究室代表。1958年生まれ、岩手県一関市出身、福島県猪苗代町在住。専門は火山地質学。2011年の福島原発事故発生により放射性物質汚染の調査を開始。11年、原子力災害現地対策本部アドバイザー。23年、環境放射能除染学会功労賞。論文などは、京都大学名誉教授吉田英生氏のHPに掲載されている。
原発事故関係の論⽂
磐梯⼭関係の論⽂
ほか、「富士山、可視北端の福島県からの姿」など論文多数。








