仕事は苦行なのか?(後編)(2)

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 私たちの生活は、人生の相当な時間を「仕事」というアクティビティに費やしているが、この社会では「労働」という行いを、何かつまらないもの、嫌なものとして感じる現象が長らく続いているように見える。…日曜日の夕方にテレビから流れてくる「サザエさん」が終わるころ、何やら沸々と憂鬱な気持ちが湧いてくる人たちがいるというのだ。仕事が苦行ともとれるような不幸な感情が人々を苦しめる。このような状況は、なぜ起こってしまったのだろうか。

頑張らない?

 「静かな退職」は、世界では当たり前だ。欧米ではむしろ、「静かな退職」こそ標準である。欧米の場合、エリート層とそうではない大多数は厳格に分かれている。欧州諸国であれば、職業資格(向こうでは多くの仕事・職階に就くために公的資格が必要)と学歴で昇進上限が決まり、自分の将来が早期に見えてしまう。「大卒で入社した瞬間、誰でも幹部候補で横一列に並んで、30代半ばから後半まで同じ土俵にいられる」という社会ではない。だからこそ彼らは見えている将来に従って、バリバリ働く人とそうではない人に分かれ、後者に「静かな退職」が浸透したのだろう。日本は「誰でもエリート」で「将来、部長や役員になれる可能性がある」というニンジンを餌に、「忙しい毎日」を促され続けてきた。それが昨今壊れ、世界標準に近づいたということ。そういう意味においては、欧州の働き方や日本の「静かな退職者」のそれは正しく、間違っているのは日本の「常識」だったといえそうだ。

たとえば”頑張りすぎない”という選択 pixabay
たとえば”頑張りすぎない”という選択 pixabay

    オーストラリアの作家ブロニー・ウェアは、緩和ケアの現場で語られる後悔の回想を指摘した。後悔とは「お金を稼げなかったこと」や「出世できなかったこと」なのではなく、「働き過ぎてしまったこと」「仕事ばかりに時間を使って、家族や友人との楽しい時間を過ごせなかったこと」を嘆く人が多いのだと。人生における失敗者を挙げるなら、お金を稼げなかった人や出世できなかった人ではなく、「働き過ぎてしまった人」「仕事ばかりに時間を使って、家族や友人との楽しい時間を過ごせなかった人」のことだと。老若男女が欲しているのは、やはり「つながり」「有能感」「自立性」の3点。その効能を得ることで、無意識的に「構想」と「実行」の統一を成し得ようとしているのかもしれない。

 本人、周囲、上司、会社もそれを認知するときがきている。なかからも外からも「働き方が変わらざるを得ない」圧力が集中的に重なってきていることで、日本人の常識は大きく揺らいでいる。だから、「静かな退職」が市民権を獲得し始めたといえるのだ。「そんなに頑張らなくてもいいんだよ」「いやむしろ、頑張らないほうが生産性は上がるんだ」。成熟社会の日本も、そろそろそちら側も視野に入れていくころかもしれない。Z世代の若者たちを象徴するスタンスは「いい子症候群」。「言わなければやらない」けれど、「言われればきちんとこなす」。そんな風景に似ていると思いませんか?若者も中高年も、どうやら社会の風向きはそちら側に移ってきている様子。

 私たちは経済成長からの恩恵を求めて、一生懸命に働き過ぎた。一生懸命働くのは、資本にとって都合が良い。主要目的はGDPを減らすことではなく、量(成長)から質(発展)への転換。経済格差の収縮、社会保障の拡充、余暇の増大を重視する経済モデルへの転換。ホワイトカラーサラリーマンにとっても、今は働くスタイルをシフトするチャンスが到来しているのかもしれない。

休むとマイナスなのか

 育児で時短勤務をする女性の穴を埋めるために、子育て世代の男性が残業せざるを得なくなり、その男性は育児に参加できなくなる。すると、その妻も時短勤務をせざるを得なくなり、妻の職場の子育て世代の男性がその穴埋めで残業をする…という悪循環が生じている。日本では「休むとマイナス」「休んではいけない」という雰囲気がつくられてきた。そんな意識を刷り込まれた子どもたちが成長し、大人になってもその呪縛を引きずってしまう。これは、日本社会独特のものだろうか。

 「学校に行かなければいけない」というよりも、「休むことはマイナスだ」という価値観を、日本社会が育んできたのだろうか。一番大きいのは、教える側である教員自身が「休み方」を知らないことだろう。教員が休めないのに、生徒に休み方を教えることはできない。また、日本には病気休暇のない企業が多く、病気になっても有給休暇を使わなければならない職場が一般的だ。本来であれば、これは「理不尽な」ことにもかかわらず、多くの人がそれを当然だと思っている。視野を広げれば、「ほかの会社には病気休暇があるのに、うちの会社にはない」ということに気付けるだろう。「理不尽」=「おかしい」と認識することは大切だ。

 それでもコロナ禍で、少し風向きが変わってきているように思う。「休む判断の主体」が、学校から家庭(保護者・児童生徒本人)へ移ってきているようだ。本来、学年・学級閉鎖、学校休業の判断は、学校や教育委員会が行ってきた。しかしコロナ禍では、感染してしまう不安から、家庭が自主的に「休む」と判断するケースが相次いだ。これを受け、文部科学省は感染不安を理由に登校を控えたいという家庭からの相談があった場合、校長の判断によって「出席停止」、つまり欠席としない対応も可能になったのだ。

休むとマイナスなのか
休むとマイナスなのか

    連日報道されているクマの出没や、大雨の発生など、地域ごとの危機でも、家庭の判断で休むことを欠席扱いにしない対応が広がる可能性もあるだろう。また、無差別殺傷事件などでは、各市の教育委員会が事件を理由に不安を感じ、登校を控えた児童生徒を欠席扱いにしないという措置を採ることも出てきた。学校側が一斉休校にするのではなく、「学校を休む」判断を各家庭に任せるのだ。日本の学校教育や社会全体が、子どもや若者の声を聞こうという方向に向かっている。今こそ学校で「休むこと」をきちんと学び、「大人」になるまでに自分で休む判断ができるようになるべきだろう。

健康寿命を延ばす働き方

 今は、「働く人を大事にしよう」という社会的機運が高まっている。働き方は本当に多種多様。22年4月には、老齢年金の繰下げ受給の上限年齢が75歳まで引き上げられた。今後、定年が75歳に引き上げられる可能性もある。

 「仕事+旅」をコンセプトにサービスを展開する「おてつたび」。全国を旅しながら少し働いて稼ぐ“リゾートバイト”が、シニア層に人気らしい。旅館では、住み込み、部屋付き、温泉付き、まかない付き。そんな日々の暮らし方を写真に記録し、動画で発信するなどしながら楽しんでいる。こんな働き方が、健康寿命を延ばすことにも一役買っているようだ。定年後の就業者は、無理なく仕事を行いながら幸せな定年後の生活を送ろうとしている。

おてつたびは、「仕事+旅」でシニア層にも人気 公式HP
おてつたびは、「仕事+旅」でシニア層にも人気 公式HP

 純粋消費者が増えて働き手が足りなくなる現代の日本社会において、生産者と消費者の関係は、必然的に変わっていくだろう。消費者が過剰に存在していて、生産者が足りない労働供給制約社会においては、主権は生産者に移るはず。働き手に気持ち良く仕事をしてもらえる環境をいかにしてつくり上げるか、またその結果としていかにして多くの人に働いてもらえるか、日本に住むすべての消費者にとって、こうした考え方はより身近になっていくことだろう。

(了)


松岡 秀樹 氏<プロフィール>
松岡秀樹
(まつおか・ひでき)
インテリアデザイナー/ディレクター
1978年、山口県生まれ。大学の建築学科を卒業後、店舗設計・商品開発・ブランディングを通して商業デザインを学ぶ。大手内装設計施工会社で全国の商業施設の店舗デザインを手がけ、現在は住空間デザインを中心に福岡市で活動中。メインテーマは「教育」「デザイン」「ビジネス」。21年12月には丹青社が主催する「次世代アイデアコンテスト2021」で最優秀賞を受賞した。

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