福岡市への転入者~将来的には期待できず(2)

何処も人口減

 福岡市の今後の繁栄のために不可欠なのは流動人口が増加することである。ところが前回記事において、その外部からの流入増が無理であることに触れた。

 さらに付記していこう。①まず現在の日本の人口は1億2,280万人である。毎年60万人が減っており2070年は8,700万人へ減るとの見込みになる(実際には、もう少し減る傾向は急ピッチで進むという見立てもある)。

 では、②九州地区(沖縄県含む)はいかなる推移になるのか。26年約1,397万人である。50年には約1,152万人に減ると予測されている。③福岡県はどうなるのか?26年現在、509.5万人である。50年の予測数値は447.9万人となる。人口減でみれば福岡県の衰退には歯止めがない。

 次に④福岡市はどうなるのか。26年10月1日現在は人口167万1,323人で、40年に約170万2,000人でピークを迎える。ところが50年には168万7,000人へ減少することになっている。我々、老人たちがこの世から消えていく、それをカバーする出生力は乏しい。「福岡なら外国の人が定住してくれる」という楽観論が出てくる。そんなに甘いものではなかろう。必ず逆風が強まる。民族重視の参政党は、堂々と日本の人口を増加させる出生対策を講じるべきである。今のままでは足りないな。

10年で村維持が不可能か

 さて今回のドライブコースから感じ取った人口減コースをまとめていこう。宮崎県児湯郡西米良村に立ち寄った。山の中であるが、交通の要所である。熊本県境に位置している。九州本島で屈指の標高を誇る市房山の麓になる。昔は林業が盛んであったようだ。この林業の影響のおかげかもしれないが、交通の便は非常に良い。別号で報告した通り「西郷軍が鹿児島へ逃げ帰った要所に位置する」のである。高千穂から五ヶ瀬、椎葉へと山並みが続く(現在の道路はしっかりと整備されている)。椎葉から続く山並みが35km南下して西米良村へ辿り着く。ここから南下すれば小林市経由で鹿児島の分岐がある。

 それだけではないのだ。東西に別ルートが走っている。東は宮崎県高鍋町、西は人吉市に向けて国道が走っている。筆者の母校は高鍋高校である。遠い昔、高校時代は60年前の話である。国鉄バスが湯前から走っていた。一度、走破したいという思いがようやく実現したので感無量であった。おそらく製材類が運ばれてきたのであろう。と同時にバス始発は球磨郡湯前町であった。この球磨郡の人口を調べると13万人いたらしい。

西米良村役場
西米良村役場

 話が多少、脱線した。この西米良村の人口は26年現在、人口972人である(男499人、女473人)。村役場を訪問した。村の中心部に位置している。小学校は役場の裏山に位置している。町並みもコンパクトに商店街を含めて整備されている。しかし地元の方の証言によれば「村単独の運営はあと10年か」となる。しかし、吸収合併する自治体があるかがポイントになる。

合併しても人口は減じる

 熊本県山都町は、阿蘇山系の南東にある。ドライブ好きで阿蘇方面を走る人はこの山都町に対しては「非常に広い町だ!!」という印象を抱いているはずだ。合併面積は544km2であるから福岡市の1.6倍ある。1980年の人口は2.6万人いたのだ。ところが40年後の2020年には約1万3,000人に減じている。さらに今年9月末現在の人口は1万2,232人まで急降下となっている(男5,956人、女6,276人)。1980年対比の人口は約53%減っているのである。恐るべき数字である。昔々、阿蘇山系周辺には数多くの方々が生活していたことを改めて思い知った。

豊かであった球磨郡

 球磨郡は四方を山に囲まれているが、広大な盆地が横たわっている。人吉市まで25kmであるから緊密な交流がなされている。冒頭に指摘していたが、球磨郡の人口はピーク時に13万人いたらしい。ところが中核の町、湯前町、多良木町の人口を列挙してみよう。まず湯前町から始めてみよう。1955年8,768人、70年6,634人、90年5,514人という減少傾向が続いた。そして今年8月の統計は3,189人にまで減っている。2050年には1,809人と予想されているのだ。いやークワバラクワバラだ!

ひとよし観光マップ

宮崎県も同様、減少傾向

 今回、人口視察で走った宮崎県各自治体の指数を並べてみよう。まず高千穂町である。インバウンドブームがようやく、この地区にも届くようになった。おかげでホテルラッシュとなっている。しかし人口減はこの地区でも同様である。神が舞い降りた発祥の地・高千穂町のピークは1950年人口2万8,000人であったのだが、2000年1万5,843人、24年1万1,038人と落ち込んでいる。

 筆者の身内が宮崎県庁に入庁した。結婚して1995年に高千穂支所へ転勤したのであるが、当時を回顧する。「あのころ、高千穂はまだ活気があった。人通りも活発であった」と語った。一方、宮崎県庁の姿勢も批判する。「人口が減っていくのはわかっているのに2000年前後でも人口は多少増えるようなデータを作成していた。本当に無責任であった」と厳しく批判する。

 隣の五ヶ瀬町は1985年5,800人が2026年9月2,951人と半減している。児湯郡川南町は1980年時点で1万8,000人、2000年まで現状維持をはたしていたが、今年8月1日には1万3,771人までに減っている。西都市は1985年の人口が3万8,370人だったが、人口減に転じて2万6,288人(10月1日現在)まで減ってきた。

 この人口推移データから、2000年までは何処も人口減ペースは緩やかであったことがわかる。ところが00年を超えてからは減少ピッチが非常に速くなっている。また地域も山間部、海岸線沿いどこも関係なく人口減は同じ傾向である。

 この人口問題に対して政治家たちも、行政マンたちも危機感を抱いて対処していない。福岡市民も「福岡という都市が単独で繁栄していく幻想を捨てるべきである」と提言したい。

(了)

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