中洲が元気でこそ福岡が元気になる
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(株)電子商事 代表取締役 中野 武志
中洲で遊ばなくなった若者
(株)電子商事代表取締役の中野武志社長が嘆く。「今、若者たちが中洲で遊ばなくなった。というよりも、遊び方を知らなくなってしまったようだ。若者が集まらない中洲には、将来がない。どうにかして、若者が中洲に集まる流れを太くする努力をしてみせる」。
この中野社長は、会社を起こして40年になる。中洲通い歴は半世紀になるのだが、達観したことは、『中洲に活気がないと、福岡は元気にならない』ということである。だから、中洲を大いに活性化させようと、週に4回は通う責務を果たしている。
中野社長が危惧するのは、金を持っていても中洲で遊興する層が減ったことだ。「金が廻らないと、福岡全体に潤いのムードが蔓延しない」という持論を持っているが、今、最も情けなく思っているのは、「プロの野球選手たちが、酒を飲まず、遊びもしない」ということである。中野社長も遠い昔、東京六大学野球を経て、プロの道を選択しようとした時期があった。だが、あえなく挫折した。そのため、野球や野球選手に対しての思い入れ・愛情は人一倍、いや十倍は強い。母校・福岡工業大学付属城東高校の野球部OBの顧問も引き受けている。
プロ野球の選手たちの面倒見も、半端ではない。「昔のプロの選手たちには、猛者がたくさんいた。ところが、最近の若い連中は無駄なことを一切しない。無茶飲みもせずに、現役を1年でもまっとうしようと、涙ぐましい努力をしている」と注釈する。中野社長とは40歳以上の歳の開きのあるソフトバンクホークスやほかのチームの選手たちを接待すると、彼らは喜ぶ、というか興奮する。「いやー中洲がこんなに楽しいところとは知らなかった」と、感極まる。「選手たちが中洲の魅力を理解してくれたら、遊びに来て、金を落としてくれるであろう」と、内心納得している。
中洲の女性も生活が大変だ
半世紀にわたって中洲をウォッチングしてきた中野社長は、「中洲の雰囲気は時代の世相を反映している」と悟っている。30年前までは、ホステスさんたちは『クラブの接客のプロ』というプライドを持って接してきた。昭和の終わりから平成の初頭にかけては、フィリピンの女性たちが中洲を占拠した感があった。その後、中部ヨーロッパの白人、中国人の出稼ぎが押し寄せてきた。現在は、中国人のスタッフが少なくなっている。その穴埋めをしているのが、日本人女学生たちだ。アルバイトとして、手っ取り早い仕事なのであろう。
加えること、昼間働いているOLたちが、週に3~4回、夜の勤務をしている。要は、昼の働きだけでは、生活できないのである。たとえば、介護職の仕事だけでは食べられないという理由で、中洲に稼ぎに出ている女性は多数存在している。それだけ、昼職種の女性たちの生活環境が厳しくなった証明だと言える。中洲専従のプロたちにも、昔ほど豊かな生活水準を保つ稼ぎを得られる人は僅少である。
「中洲に情緒が失われ、ガツガツと砂漠化現象が生じれば、必ず都市福岡にも卑しい社会的弊害が生じるだろう」と中野社長は予測する。
中野社長は、福岡博多ライオンズクラブの重鎮でもある。『We Serve』(我々は世界に、社会に尽くす)という理念を実現するために、先頭を走っている。各方面のアクティビティ(社会貢献)や資金へのドメーション(カンパ)にも一番の貢献を行っているのだ。その福岡博多ライオンクラブの青年メンバーにも、中洲の楽しい付き合い方を学習させている。毎朝、『中洲の元気が、福岡の元気を引っ張る』という呪文を唱えているのである。
※記事内容は2015年8月31日時点のもの
<COMPANY INFORMATION>
(株)電子商事
代 表:中野 武志
所在地:福岡市中央区大宮2-6-23
設 立:1977年3月
資本金:1,000万円
TEL:092-533-5500
URL:http://www.denshi-shoji.net/<プロフィール>
中野 武志(なかの たけし)
1944年、福岡市生まれ。法政大学経済学部卒業後、(株)フジソクに入社。福岡営業所所長まで勤めた後、退社。同営業所の営業基盤を譲り受けて77年3月に(株)電子商事を設立。代表取締役に就任した。趣味は野球とゴルフ。関連キーワード
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