世界の警察官・米軍の警察犬になるのか!新安保法制と戦後70年の課題
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元自民党副総裁 山崎 拓
集団的自衛権の行使容認自体に問題
まず、そもそも論だが、新たな安全保障法制が整備されることになった出発点は、2014年7月1日の閣議決定にある。ここで、集団的自衛権の行使が容認されるようになった。これ自体に問題がある。
過去の歴代政権は、鈴木内閣以来、中曽根内閣も含め15代にわたってすべて集団的自衛権は国際法上、主権国家に認められた権利ではあるが、我が国は憲法の制約があって行使し得ないと言ってきた。それにもかかわらず、安倍政権は、容認に踏み切った。つまり解釈改憲に踏み切った。それ自体に問題がある。憲法改正は、国民投票によるものであるから、改めて国民投票に問わないといけない。つまり憲法改正案というものを国会で発議して国民投票を行って、行使容認が認められれば、今回の法整備を行っても良かったが、国民投票で否決されればできなかった。
憲法解釈を変更して安保政策の大転換を行おうとしているが、まず原点に立ち返って、安倍総理本人が憲法改正を志向している政権でもあるので、憲法改正の手続きのなかでやり直すべきだと第一に申し上げたい。
それから、今回の安全保障法制の見直しは、外交政策の変更と安全保障政策の大転換を意味している。そのことを踏まえて慎重な議論が必要だ。「国連主義」の後退、米国の警察犬に
外交政策の変更としては、従来の日本の外交方針は3つあって、国連中心主義、日米同盟の堅持、アジアの一員というのが、基本方針であった。
ところが今回は、国連の決議なくしても自衛隊を海外へ派遣する議論が進んでいる。国連中心主義の後退である。
日米同盟の堅持という外交方針は変わらないのだけれど、今の安保条約の範囲を超えて、米軍の国際的な軍事行動に対して、当面は後方支援に限定しているものの、従来の範囲を超えた米軍軍事力の補完勢力となろうとしている。
日米同盟のあり方については、日米防衛協力の指針(ガイドライン)の3回目の見直し(新ガイドライン)が安倍総理の15年4月末の訪米の際に合意され、今まではアジア太平洋地域内の防衛協力となっていたのが、全世界に広がった。もともと日米安保条約は日本の防衛のためであるから、それにもかかわらず全世界となると、米国が全世界の警察官として行動するすべての軍事的行動に対して、日本に要求があれば、今度の法整備のなかで後方支援をやることになりかねない。すなわち、米国の軍事力の補完という役割になる。私は、世界の警察官である米国の警察犬たる日本になると説明している。アジアの一員というのは、日本はアジアのなかで協調していくということだったが、現実には日中、日韓関係が非常に悪化しており、両国に対する外交政策の見直しをせざるを得ないような状況が生まれている。むしろ協調よりも対立が生まれている。安全保障法制の見直しによって、また戦後70年の談話問題と絡んで、日中、日韓関係の悪化を招来する可能性がある。そのような外交政策の転換を行おうとしていることが問題である。
非軍事国家から軍事国家へ
新たな安全保障法制の問題点はいくつもあるが、基本的には、積極的平和主義の美名のもとに、専守防衛政策を他国防衛容認政策に変えたことと、自衛隊の海外派遣止まりから海外派兵を認めたことが問題である。
今度の改正は、従来の専守防衛政策の矩(のり)をこえて、他国防衛を容認している。つまり、集団的自衛権の行使の要請があれば、米国を防衛する、米国のみならず、オーストラリアも防衛する。我が国と密接な関係がある国、それがどこであれ、日本は要請があれば集団的自衛権を行使するということになる。すなわち、日本の自衛隊が海外へ出て行って、当面後方支援という限定が付いているけれども、後方支援というのは兵站の意味なので、正面の戦闘行為と、その戦闘行為をバックアップする兵站を分担することであるから、武力行使と一体になるので、これは180度の大転換にほかならない。戦争に巻き込まれるのは疑いない。
従来の防衛政策は自衛隊の海外派遣までは容認するけれども、憲法で武力行使を禁じられているから、自衛隊の海外派兵はしなかった。それで、国際貢献としての海外派遣とし、人道復興支援することに留めていた。イラクの場合はサマワだった。そのように自衛隊の海外派遣には限度限界があったのだが、今度は堂々と自衛隊を海外へ派兵することになる。
外交当局が自衛隊という軍事力を外交の手段として自在に使おうとしているのが問題点の最たるもので、憲法9条の国際紛争を解決する手段として日本は武力を行使しないという非軍事国家としての立場が完全になくなるということだ。わざわざ「血を流す」必要はない
サマワでも、人道復興支援であってもPTSDになった自衛隊員は多い。ましてや戦闘行為に巻き込まれたら命にも係わるし、自衛隊員は本当にたまらない。自衛隊員も国民だ。
安倍総理が「血を流す」という言葉をよく使う。非常に問題のある発言だ。「アメリカの若者は日本のために血を流すのに、日本の自衛隊はアメリカが攻撃された時に血を流さない」「他国の青年が血を流しているのに、なぜ国際平和のために、日本の青年は血を流さないのか」と言うけれど、なぜ血を流す必要があるのかと反論したい。「血を流す」という言葉を平気で使うが、血を流すのはお前じゃないではないか。血を流すのは自衛隊員じゃないか。今、海外に出す余った自衛隊員がいるということは錯覚だ。自衛隊員は足らない。自国防衛に専心させないといけない。地球の裏側まで行くことが日本を守ることだというけれど、そんな変な理屈はない。
日本が武力攻撃を受けていなくても日本の国民生活が根本的に侵害される事態として、安倍総理はホルムズ海峡の機雷投下を挙げるが、そういう事態は起こらない。では、ほかにあるかといえば、中東であれ、中南米であれ、ウクライナであれ、世界のどこかの紛争によって日本が致命的に困ることはまずない。むしろ、日本の自衛隊が出て行けば、そのことによって、戦争に巻き込まれる。日米安保条約再改定へつながる
今回の安保政策の転換は、「極東の範囲」が「アジア太平洋地域」から全世界中、「オール・オーバー・ザ・ワールド」に広がることと、日本による米国防衛を可能にすることによって片務性がなくなり基地提供の裏付けがなくなることから、本来、安保条約の改定につながっていく。安倍総理は、戦後体制の見直しという言葉を使ってきたし、日米対等論だったはずなのだが、この頃は節を曲げた。戦後体制の最たるものは日米安保体制だが、安倍総理はその日米安保体制の見直しを言わなくなった。言わないどころか、米国追随強化になっている。
「一国平和主義」だと言うなら模範である
要するに、日本が海外に行って「戦わない国」から「戦う国」になろうとしている。従来の日本の立場は、自国の領土領海領空を死守する、国民の生命財産を守るというものであって、専守防衛のことだ。その場合には自衛隊員も命を賭けて戦ってくれる。今度の法整備は、そういう守備範囲を超えて、もっとグローバルに日本の自衛隊が出て行って世界の戦争に参加しようということだから、非軍事国家から軍事国家への大転換だ。
積極的平和主義という言葉が使われているが、定義がない。定義の説明を聞いたことがない。誰かが国会で質問して、安倍総理が答えたことには、「今よりもっと平和を」という。今以上の平和が日本にあるかと問いたい。戦後70年間も1回も戦火を交えることなく、自衛隊の死傷者もなく、相手にも死傷者がいないというあり方からすると、今以上の平和というものがあるか。それを一国平和主義だと言われれば、一国平和主義は素晴らしいと言わざるを得ない。今に言わせると徹底的平和主義だ。戦後70年間1回も戦争に巻き込まれなかったのは、徹底的平和主義のおかげであるから、それは素晴らしい。世界中の模範である。外国がみんな、徹底的平和主義になれば、世界中が平和になるはずだ。(談)
※記事内容は2015年8月31日時点のもの
<プロフィール>
山崎 拓(やまさき たく)
1936年生まれ。福岡県立修猷館高校卒業。早稲田大学商学部卒業。自由民主党元副総裁、元幹事長、元政調会長。元福岡県会議員、元衆院議員(12回当選)。中曽根康弘首相の官房副長官や、防衛庁長官、自民党安全保障調査会長、外交調査会長を務め、外交・安保に精通。現在、政策集団「近未来政治研究会」最高顧問。関連キーワード
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