次世代への責任をいったい誰が果たすのか!(3)
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元国務大臣・内閣府特命担当大臣・衆議院議員 村上 誠一郎 氏
自民党は今、参議院選挙の勝利に酔いしれている。しかし、その自民党は、さらに永田町は、10年ほど前から明らかに劣化し始めている。そして、2012年12月26日の第2次安倍内閣が誕生して、かつての自民党の姿はすっかり消えた。議論を許さない雰囲気が党内に広がり、議論をする気のない議員が増えた。果たして、自民党は将来的に国民の負託に応え、次世代への責任を果たすことができるのであろうか――。近刊『自民党ひとり良識派』(講談社現代新書)で自民党の危機に警鐘を鳴らす、元国務大臣・内閣府特命担当大臣・衆議院議員の村上誠一郎氏に聞いた。村上氏は村上水軍18代目当主で、その村上家の家訓は、「国家の大事には親兄弟の屍を乗り越えて戦え!」である。
(取材日:7月14日)
派閥の弱体化で自民党が劣化
――このようなとき、昔の自民党であれば、党内で自浄作用が働きました。なぜ現在の自民党では、自浄作用が働かないのですか。
村上 その原因は、大きく分けて3つ――「小選挙区比例代表並立制」「小泉純一郎元首相が仕掛けた郵政選挙」「派閥の弱体化」挙げることができます。
1つ目は1994年に法案が成立した「小選挙区比例代表並立制」(1996年から施行)で、それ以前の中選挙区制から選挙制度が変更されました。私は現在のように「自民党や永田町全体が劣化する」ことを見通し反対票を投じました。今でこそ、マスコミを含めて「小選挙区比例代表並立制」に疑義を唱える人はたくさんいます。しかし、当時マスコミは「小選挙区制は政治改革・行政改革の一環である。反対するのは既得権益を守ろうとしている守旧派だ」と言う論を張り、反対派をバッシングしました。当時の中選挙区制が余りにもカネがかかること、そして選挙違反の温床となることから、小選挙区制の導入が決まりました。
それでも私は、「選挙にカネがかかるなら、連座制と斡旋利得罪を強化すればいい。小選挙区比例代表並立制を導入したら、政治家の質は落ち、党幹部や時の権力者に、政治家は選挙、ポスト、政治資金を握られて、自由に意見が言えなくなる」と主張し、反対しました。これは約20年前の話ですが、今、まったくその通りになってしまったことを残念に思っています。しかし、どんなに後悔しても、一度できてしまった制度を再び元に戻すことは、至難の業なのです。原因の2つ目は、この小選挙区比例代表並立制を見事に利用して、「小泉純一郎元首相が仕掛けた郵政選挙」です。2005年の第2次小泉内閣で、この小選挙区制を利用して郵政解散選挙が強行されました。同年7月に、小泉純一郎首相は国会に郵政民営化法案を提出し、衆議院において可決。翌月参議院に送付後否決されたため、衆議院を解散するという勝負に出たのでした。衆参議員の採決における反対・棄権は、当時、橋本派26人、森派2人、亀井派25人、その他無派閥の無所属議員28人。合計81人もの反対者がいました。
小泉首相は反対者を「改革の抵抗勢力」とレッテルを張って、マスコミに宣伝しました。そして、この小泉政権の郵政選挙で、「郵政民営化」に反対した自民党の政治家はすべて公認が取り消され、そのうえで刺客(反対する議員の選挙区には、郵政民営化賛成の新人候補を自民党公認として擁立)まで送り込まれました。郵政民営化反対を言ったら、政治家が政治生命を奪われたのです。「俺の言うことを聞けないのなら自民党議員を辞めろ!」と言うことでした。このときが、多様性を認め、右から左まで幅広い意見を認めていた自民党が、今のような議論のしにくい党に様変わりした瞬間です。今、自民党にいる議員の多くが、この郵政選挙が忘れられずトラウマになっています。
自民党では現在、政策を勉強し努力するよりも、党の上層部におもねることが、ポストも得られて選挙に勝つ近道になっています。同じ自民党員として情けない話ですが、緊張感がなく、勉強もしている感じがしません。しかも大臣ポストは、派閥の弱体化で首相の好みで決まります。現在、自民党には大臣になりたい人が約200人います。「ヒラメ社員」ならぬ「ヒラメ議員」が郵政選挙後、急激に増えました。3つ目の原因に「派閥の弱体化」が挙げられます。私は、議員が劣化したもう1つの背景に、派閥が弱体化し、人材を発掘して新人議員の教育機関の役割を担えなくなったことがあると考えています。私は政治家になって、河本派という小派閥に属しました。そこで、政治が目指すべき根源的理想である共存共栄を目指す政策主義を貫いた、三木武夫元首相、河本敏夫元通産相に学びました。河本先生が言われた「政治家は政策が命であって、そのためには勉強して命がけで信念を貫く覚悟がなければならない」という言葉は、今も忘れていません。
理念や信条が置き去りに
当時の自民党は「三角大福中」(佐藤栄作総理の後継を争って72年の自民党総裁選に立候補した4人、三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫に中曽根康弘)など派閥抗争が激しく、また派閥が金権政治につながると言われていました。主権在民の観点から派閥は「諸悪の根源」と思われていたのです。
しかし、それは派閥の負の面だけが過度に強調されたもので、派閥には今と比較して、良い点が多数ありました。まず、小泉政権以前の各派閥は、誠にもってよく勉強していました。各派閥は所属議員に資金援助を行う一方、政策の勉強会を常時行っていたのです。国会会期中でも週に1回の会合を持ち、常に財政や経済、金融問題について勉強し、政権を担う本流派閥であれば、政府提出法案については、常に厳しいチェックをしてきました。また派閥は人材教育機関の役割も担い、大事に政治家を育て、入閣候補を推薦し、派閥が人事に責任を持っていたのです。閣僚を推薦する派閥と閣僚として迎え入れる政権が、ともに緊張感を共有していました。その頃の党内には、誰も議論も、意見も言わない今の「ベタ凪のような」自民党とは大きく違い、自由闊達なエネルギーが溢れていました。
福田赳夫政権以来、森喜朗政権で清和会が久しぶりに政権を担ってから、小泉純一郎政権、安倍晋三政権、福田康夫政権と森派が総裁派閥として圧倒的な強さを発揮してきました。麻生太郎政権と民主党政権を挟んで、第2次安倍政権、第3次安倍政権と清和会政権が連続して政権を担っています。第2次安倍政権以降では、総裁が閣僚人事をほぼ1人で決定していると聞きます。こうなると、もはや派閥は機能しなくなり、政治家による総裁への迎合や忠誠心に重きが置かれ、政治家としての理念や信条が置き去りにされた猟官運動が激しくなるばかりです。任命権者に近づこうとする政治家が多くなった自民党は、このまま果たして国民の負託に応えることができるのかどうかを心配しています。
(つづく)
【金木 亮憲】<プロフィール>
村上 誠一郎(むらかみ・せいいちろう)
自由民主党衆議院議員。1952年生まれ。東京教育大学付属高を経て、78年東京大学法学部卒業。河本敏夫衆議院議員秘書を経て、86年旧愛媛2区より2度目の出馬で衆議院議員に初当選。以来、愛媛2区で、自民党一筋で10期連続当選。2001年、第2次森喜朗改造内閣で初代財務副大臣に就任。第2次小泉改造内閣で、国務大臣(行政改革・地域再生・構造改革特区担当)・内閣府特命担当大臣(規制改革・産業再生機構担当)として初入閣。2015年の安全保障関連法案採決の本会議を欠席、福島第一原発事故の原因究明なきままの原発再稼働に反対するなど、リベラル保守の立場から政権に正論を唱えている。前衆議院政治倫理審査会会長。現在、自由民主党総務、税制調査会副会長、海運・造船対策特別委員会委員長、四国ブロック両院議員会会長。関連記事
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