アデランスが非上場化するワケ(後)
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「ハゲタカファンド」に乗っ取られる
もう1つは、アデランス固有の要因である。支援するインテグラルの山本礼二郎代表は、米投資ファンドのスティール・パートナーズとの対立による経営混乱で、「残念な人員整理があり、その人がライバルとなり競争が激化した」と分析した。
アデランスは、“グリーンメーラー”(乱用的買収者)として日本企業を震撼させた米スティール社に乗っ取られたのだ。グリーンメーラーとは、株を買い占めて、敵対的TOBや増配要求で揺さぶりをかけ、高値での引き取りを要求するハゲタカファンドを言う。アデランス株を買い占めて27.7%を持つ筆頭株主に躍り出たスティール社は、経営陣の不信任を突き付けた。
アデランスホールディングス(HD)が2008年5月29日に開いた定時株主総会で、取締役7人の再任が否決された。スティール社には、不信任案が可決したのは誤算だった。高値で引き取らせるのが目的で、経営するつもりは、さらさらなかったからだ。
8月9日の臨時株主総会で、岡本孝善社長が退任し、子会社の社長を務める早川清氏がHD社長に就いた。スティール社と縁を切りたい経営陣は“ホワイトナイト”(白馬の騎士)として、国内投資ファンドのユニゾン・キャピタル(株)に支援を求めた。翌09年5月28日の定時株主総会で、ユニゾンから迎える予定の3人の取締役の選任は否定され、スティール社が提案した8人の取締役選任案が可決した。会社側の2連敗だ。HD社長は、早川清氏からOBの渡部信男氏に交代した。
創業者が社長に復帰、経営権を取り戻す
窮地に立たされたのは、会社側だけでない。スティール社も追い込まれた。リーマン・ショックで資金繰りが悪化したスティール社は、何としてでも、アデランス株を高値で売り抜けたい。そこで、09年12月、日本ペプシコーラ社長などを歴任した経営コンサルタントの大槻忠男氏を、アデランスHD社長兼CEOに据えた。大槻氏は10年9月に社名を(株)ユニヘアに変更。大リストラを実施、ゴルフ場やサロン事業を売却した。
しかし、業績は好転しなかった。10年2月期は53億円、11年2月期は59億円の営業損失を出した。スティール社はアデランスの米子会社を切り離し、高値売却で回収することを狙ったが、大槻氏が拒否。11年2月、スティール社は大槻社長を解任、創業者の根本信男会長が社長を兼任した。根本氏はただちに、社名を元のアデランスに戻した。スティール社は、いったんクビにした創業者に頼らざるを得なくなったのは、皮肉と言うほかはない。
スティール社は14年12月、アデランス株を売却して撤退。アデランスの創業者は、ようやくスティール社から経営権を取り戻した。しかし、スティール社に乗っ取られて負った傷跡はあまりに深くて、大きかった。そのため非上場化して、再出発に向けて歩み出すことになる。
(了)
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