2024年11月24日( 日 )

「サロン幸福亭ぐるり」創立10周年(成長編・後)

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大さんのシニアリポート第56回

社協共催「住民懇談会」

 来たいときにいつでも開いている。それが来亭者の気持ちに添うものだと思う。しかし、この「毎日開いている」という状態が、予期せぬ事態を引き起こす。自分の日常的な居場所と感じはじめた来亭者は「異分子(気に入らない者)は排除」と考える。当然、来亭者同士のトラブルに発展する。33m2ほどの狭い空間では、部屋の空気が一色に染まりやすい分、仲間割れも起こしやすい。そこには必ずコアになる人物がいて、その周辺に仲間が群がるようになる。派閥である。しかし、その派閥は実にいい加減で、平気で離合集散をくり返す。思い込みだけで生きているような人たちだから、離合集散の「是非」を自分に問いかけることはない。

 「集まり散じて、人は変われど…」というどこかの大学の校歌じゃないが、その行動はわたしの理解を超える。しかし、それこそがこれまで生きてきた「強さの証」なのだろう。不思議なことに唯一、そうした仲間割れが起こりにくいのがカラオケなのである。来亭者の大半がカラオケ好きなのには驚かされる。1年ほど前に、ボーズ(有名音響器機メーカーのスピーカー)を入れ、マイクロフォンも高級なものに代えたことで、音響が数段アップした。正面にモニター(小型テレビ)を設置し、ミラーボールまで備え付けた。どうみても立派な「カラオケ店」である。カラオケタイムが増えたことで、確実に集客力に影響した。「カラオケ苦手」で、本音は「規則主義者」の気持ちが理解できる私には、カラオケタイムの増設は、正直、痛しかゆしの心境なのである。

 10周年を顧みて、最大の功績は昨年春からはじめた社会福祉協議会とのネットワークだろう。私がどのように神経を研ぎ澄ましてみても、「ぐるり」(周辺)に隠された生活の実態が見えてこない。ところが、福祉関係の最前線で仕事をこなす人たちと結びつくことで、見えてこなかったことが見え始めたのである。このエリアが市内では最高の高齢化率を誇る「限界地域(団地)」であった。児童虐待や育児放棄、家庭内DV、共依存症、貧困者率、社会保障費の高依存率など、現在日本社会が内包する「負の縮図」がここにあったのだ。

 早速、「福祉よろず相談所」を開設。予想したとおり住民は、様々なセーフティネットがあり、利用することで救われることを知らない。そこで、策を弄し、「問題あり」の顔見知りを一本釣。相談にのってもらう。これが功を奏し、相談の件数が増えた。とくに介護保険に関しては無知な人が多く、認定すら受けていないのには驚かされた。その中の一組の夫婦を救急搬送し救出。夫婦ともに認知症で、帰宅は不可能と判断。現在、夫婦で入居できる施設に入所している。金銭の管理から介護保険の適用、救急搬送、そして入所まで完璧に関わることで、入所までの流れを捉えることができた。その間、姉弟たちがほとんどタッチせず、両親を捨てた「棄老状態」であることは以前ここで紹介したとおりだ。

子ども食堂のメニュー

 「ハッピー安心ネット」(見守り)を通して孤独死の回避、「子ども食堂」や、夏休みの給食ナシの状態を解消する「夏休み子ども食堂(仮称)」を通して小学校や地域の子どもたちとの接触を試み、高齢者だけではなく、「ぐるり」(地域)の住民全体をケアする『居場所』としての機能を備えつつある。
 最近もある組織から、「『ぐるり』を利用して、『みんなの食堂』(仮称)を開設したいので、相談に乗って欲しい」という連絡を受けた。この地域には追いつめられた老若男女が潜在化している。生きるうえでの喫緊の課題は「食事」だろう。前向きに検討したい。これから先も進化・成長し、「常に必要とされる『ぐるり』」をこの目で見ていきたい。誰からも縛られない自由な発想を維持できるのは、私がわがままに運営していることに尽きる。これからもこの姿勢を堅持していきたい。

(つづく)

<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務ののち、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ二人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(近著・講談社)など。

 
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