【追悼】福岡ドーム事業再生人・高塚猛氏逝去
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かねてより闘病生活を行っていた福岡ドーム事業再生人・高塚猛氏が、8月27日午前5時25分に逝去された。70歳であった。
高塚氏は、ダイエーオーナー中内功氏から請われて、福岡ドーム事業再生のために1999年4月に福岡へやって来た。福岡3点事業とは、「福岡ダイエーホークス」「福岡ドーム」「ホークスタウン」を指し、高塚氏はこの福岡3点事業の責任者となった。1年目で球団を優勝させた凄腕
99年に高塚氏が赴任して、1年目で福岡ダイエーホークスを優勝へと導いた手腕が一挙に高まり、同氏の評判は全国的となった。多額の負債を抱えている3点事業の再建の要は『地元に愛されること』という認識の下に、経営戦略を転換した。そのため、たとえばロゴマークの著作権をフリーにして、地元の飲食店・小売店が自由に使用することを許可する決断をした。また、九州出身の選手を表に打ち出して、地元ファンの掘り起こしに全力を投入した。
そういう地元優先策は、経営にもプラスをもたらした。3点事業で44億円の赤字を出していたが、15億円の黒字へ転換させたのである。こうなると、中内オーナーの人材発掘の眼力は凄いという評価を受けることになる。
ただ高塚氏は、岩手県盛岡市での再生の成功体験の持ち主であったことはあまり知られていなかった。この再生実績を買って、中内オーナーは必死で頼み込んだのである。盛岡での経済界の巨人
高塚氏は1965年にリクルートに入社。辣腕ぶりを発揮して、当時のオーナー江副浩正氏に重宝がられた。22歳で福岡営業所所長としても好成果を上げたらしい。
同氏の躍進の岐路は、盛岡でのホテル再生を命じられたことである。76年に盛岡グランドホテルの再建のために、29歳で赴任したことが始まりである。このホテルを一瞬にして黒字再建を果たしたのだが、江副氏は次の難題を命じたのだ。それが、安比高原リゾートホテルの立て直しである。盛岡市から北へ約55km行ったところにある、スキー・ゴルフ場を併営しているリゾートホテルの再建をリクルートが頼まれた。この難儀な仕事を、高塚氏に投げたのである。
だが、この難業と思われていた再生案件も、4年をかけて収益事業へと転換させた。この実績を目撃して、中内氏は高塚氏へすべてを託したのである。高塚猛という人物は、“オーナー経営者誑かし”という秀でた異能さを有する人物だ。弊社では盛岡市および安比高原リゾートホテルには、4回ほど視察ツアーに出かけた。現地でわかったことは、高塚氏が盛岡経済界の“巨人的存在”ということであった。狭い都市では、2つの事業再生の実績を上げた高塚氏が著名人になるのは、当然の帰結。どのタクシー運転手も、彼の名前を周知していた。
だからこそ同氏にとって、福岡3点事業の再生はさほどの難儀でもなかったのだろう。確信があるからこそ引き受けたと想像できる。糖尿病には勝てず
「2004年」は、高塚氏にとって“幸”と“不幸”とが交錯した年であった。
5月には国土交通省によって『観光カリスマ』の1人に選ばれた。名誉なことである。ところが、9月にはホークス球団はソフトバンク傘下となり、他の事業はコロニー・キャピタルに買収された。10月には強制わいせつ事件で刑事訴追されて、経営から身を退いた。
高塚猛氏のビジネス人生において、04年は最悪の年となった。この年からいっさいの公職から足を洗って、盛岡市での生活となった。だが、やはり緊張から解かれると、病気が進行する。持病の糖尿病が悪化して、13年1月に脳梗塞となり、寝たきりの状態となった。そしてこの3カ月間、病状は悪化の一途をたどっていたが、ついに永眠を迎えることになった。合掌。
<通 夜>
8月30日(水) 午後5時~
駒木葬祭 北山会館
TEL:019-622-2343<葬 儀>
8月31日(木) 午後1時~
報恩寺
TEL:019-651-4415関連キーワード
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