失われた古代九州王朝の歴史(3)
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現在の常識的に語られている古代史は、7世紀から現れた大和地方の日本人に作られた歴史で、それ以前には何の記録もない空白の時代が、紀元前2~3世紀から西暦600年ころまで続いたとされていますね。しかし、れっきとした九州大王の基に文化が構築され、文字も宗教も、階級制度も存在した一大文化が、北部九州、筑紫・筑前・筑後あたりを中心に運営されていました。
大和の日本人が捏造作成した天孫降臨説に基づく『日本書紀』『古事記』に登場する神々が作りたもう神話伝説を、綿々と学校教育で指導している教育行政。また、メディアにおいても、新たに発見・発掘された遺構物の史跡に対しても、「大和朝廷の出先機関である何々~」と、平然と報道する。
『紀』『記』以前は文字さえ持たない民族だったと平然と記載してある。とんでもない事です、れっきとして中国と漢字でやり取りでき、仏教を振興させる文化が歴然と存在していたのです。中国の「国史」とされる文献の存在を、もっと全国民に知らしめる必要があるのではないでしょうか。
中国には、紀元前99年前漢・司馬遷の「史記」から始まり、以後王朝の交代毎に前王朝とその時代を記述した「明史」まで、24史の国史がありますが、16個目の「旧唐書」までには、「倭国から~日本国」までの事を克明に記載されています。
日本の歴史は、ある日突然、天から神様が降りてきて、棒で地中を突き刺し、九州ができ、四国・本州を生じさせたとしています。いつまでこのような神話伝説を、信じ込ませるのか。ある国が日本の歴史認識がないと言っているのと、同様の教育方針と全く変わりがないのではと感じるのは、私だけでしょうか。
「大和の日本人」と述べましたが、これは西暦600年に書かれた中国「隋書」の中に、以前は「倭人」と名乗る使者が訪れていたが、今回は「日の本」と名乗る使者が来たけれど、これは明らかに以前の「倭人」を併合した者だと書かれているのです。
近畿大和の事は「旧唐書」に「倭国伝」の記述の後に「日本伝」として区別して、「日本国は倭国の別種なり」と断言し、漢書から続く倭国の東に位置する大和王国が、白村江(百済戦争)で大敗した倭国を併合し、新たなる日本国を形成したという歴史的な変化が、旧唐書にはきちんとして記録されているのです。(つづく)
【古代九州史家 黒木 善弘】<プロフィール>
黒木 善弘
1947年3月6日生まれ。九信電設(株)代表取締役。
社業は、福岡県警の交通信号分野の指定工事業者として、業界の会長職並びに電気工事業界でも、福岡県・全九州・全日本の役員を歴任し、2008年秋に黄綬褒章を受賞。
一方、社会奉仕活動として、ライオンズクラブに所属し、クラブ会長並びに地区・複合の各役委員を歴任し、現在福岡博多ライオンズクラブに所属する。
敬愛する古代史学者は、古田武彦氏、荒金卓也氏を挙げる。関連記事
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