相談役・顧問制度~問われる院政弊害(後)
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(株)山口銀行(山口FG傘下)田中耕三(91歳)相談役が退任
1992年6月から2002年6月までの10年間頭取を務めた後、取締役会長に就任することなく相談役に就任。当時その身の処し方が潔いとの見方が大半だった。
しかし後継に選んだ田原鐵之助頭取(当時)が、田中頭取時代に積もった不良資産を一気に処理し、赤字決算をしたことを「田中院政」への挑戦と捉え、わずか2年で更迭したのだ。その頭取交代劇は筆者著の「実録 頭取交替」(講談社)で小説として上梓された。
2002年6月から2017年9月30日まで実に15年余り、相談役の名で『影の頭取』として君臨していた田中耕三氏が特別社友となったとの封書が先述したように、吉村猛取締役頭取との連名で送付されてきた。
~その文章の中身を見ると、『(前略) おかげ様で株主様、お客さま、地域の皆さまおよび行員に恵まれ、充実した日々を送ることができました (中略)山口銀行の籍から外れ、特別社友として一歩離れて山口銀行を見守ることとなりましたが、今後ともなお一層のご厚誼賜りますようお願い申し上げます(後略)』となっている。特別社友とは
山口銀行に特別社友について問い合わせると、
・内部規定はなく、ほかに社友もいない。今まで相談役として貢献していただいたことから「特別社友」という名称を新設した。
・9月までは相談役であったことから(1)役員並みの報酬。(2)専用個室。(3)運転手付きの専用車。(4)社宅貸与の待遇だった。
・特別社友となった10月からは(1)報酬なし。(2)個室なし。(3)車なし。(4)賃貸社宅とした。
との回答があった。
これによって東証一部上場の山口FGも、傘下の山口銀行相談役が退任したことから、相談役ゼロの企業となる。今年6月の株主総会で大きな問題となることが予想される相談役・顧問制度に先手を打ったといえるのではないだろうか。
先述した日清紡HDの河田正也社長は『年初から相談役の部屋を個別に訪ね、制度廃止の意向を説明した。1回だけの説明ではなく、ほかの話題の折にも制度見直しに触れるようにして、ステップを踏みながら理解を深めてもらった。』と語ったように、吉村猛山口銀行頭取も田中相談役のもとに何度も足を運び、相談役退任を説得したものと思われる。
・銀行のトップである頭取を「院政に邪魔」だからと多数決で罷免することを画策した田中相談役。実に27年余り山口銀行の元頭取・相談役として絶大な権力を保持して君臨していたのだ。
・吉村頭取の努力が報われ、「特別社友」という名称は別として、田中相談役を退任させたことは大きな功績といえるのではないだろうか。
今後の対応について
頭取交代劇の融和
田中相談役によって2004年6月に頭取に抜擢された福田浩一氏は、現在山口FG会長(兼山口銀行会長(いずれも代表権なし)。田中相談役の指示に従って田原頭取罷免に賛成した加藤敏雄氏は、現在北九州銀行会長。同様に野坂文雄氏は、現在もみじ銀行会長(両氏とも代表権なし)
同様に田原頭取罷免に賛成した西原克彦氏。内規では子会社役員の定年は70歳をメドとしているが、72歳の西原克彦氏はワイエム証券(株)の代表取締役社長。
いずれも今年6月に改選期を迎える。地方銀行は日銀のゼロ金利政策により厳しい経営を余儀なくなくされており、多くの一般行員は55歳の企業定年を迎えているのが現状だ。
今まさに吉村頭取(兼山口FG社長)は梅本裕英専務と協力して、行内・グループおよびOBの人心を一体化する絶好のチャンスを与えられているといえるのではないだろうか。
(了)
【(株)データ・マックス顧問 浜崎裕治】関連キーワード
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