歴代社長の「財界総理になりたい」という病~東芝(後)
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(株)東芝は、日曜夜の国民的アニメ「サザエさん」(フジテレビ系)の番組スポンサーを2018年3月末に降板する。長寿番組であるサザエさんの放送が始まった1969年10月からCMを提供してきた。経営再建の一環として経費削減を進める。東芝凋落を象徴する出来事となった。
財界総理の座をめぐり東芝歴代トップが壮絶バトル
東芝の歴代トップは財界総理病に蝕まれていた。石坂泰三氏、土光敏夫氏という経団連会長を輩出した東芝は、長らく財界総理の座から遠ざかっていた。歴代社長は、経団連会長の座を手に入れることを悲願とした。
二番になることが大嫌いな西田厚聰氏の経団連会長への執念は、異常というほかはない。10年のポスト御手洗冨士夫氏の経団連会長選びで、東芝会長の西田氏は最有力候補であった。御手洗氏も西田氏を後継に考えていた。
しかし、元社長の岡村正氏がもう1つの財界有力ポストである日商会頭の座にあったため、西田氏は涙を飲んだ。2つ以上の経済団体のトップの座を1つの企業の出身者が独占しない、という不文律が財界にはあるからだ。
それはあくまで表向きの理由。水面下では、東芝の歴代社長が西田氏の経団連会長阻止に動いた。反西田の急先鋒は相談役の西室泰三氏である。あとに日本郵政社長で、東芝のトップ人事を裏で仕切り、「東芝の闇将軍」と呼ばれた。17年10月、81歳で亡くなった。
西室氏は東芝会長時代に、経団連会長の座を取りにいったが果たせなかった。「東芝から3人目の財界総理は自分だ」と思っている西室氏は、西田氏がなることにプライドが許さなかった。西田氏が経団連会長に就くためには、岡村氏が日商会頭を辞めなければならない。会員制情報誌『FACTA』(2015年7月号)は内幕をすっぱ抜いた。
〈西田経団連会長が幻になったのは、詰まるところ「西室さんの男の嫉妬。自分がなれなかった経団連会長に就くことを阻止したいという一念がそうさせた」と西田に近い経団連副会長経験者はいう〉。
相談役の西室氏は「岡村さんは続投すべきだ」と激励したと伝わっている。岡村氏は大の西田氏嫌い。岡村氏が日商会頭を続投して、西田氏の経団連会長を潰した。
それでも西田氏は経団連会長に執念を燃やし続けた。13年6月の首脳人事で、西田会長と佐々木社長の抗争が火を吹いた。西田氏が佐々木氏を副会長に棚上げして会長に留任したのは、ポスト米倉弘昌氏の経団連会長を狙っていたからだ。経団連会長に会長の肩書きは必要だ。
ところが、社長の佐々木氏は、安倍晋三政権の経済財政諮問会議のメンバーに抜擢されたのに続き、西田氏の後任として経団連副会長に就くことが決まった。財界活動の主役は、西田氏から佐々木氏に移る。佐々木氏に経団連会長の芽が出てきた。こうした流れに西田氏が我慢できるわけがなかった。それが13年の宮廷クーデターさながらの佐々木社長の解任劇となった。しかし、西田氏は経団連会長になれなかった。経団連会長には、下馬評にものぼらなかった、東レ(株)の榊原定征氏が就いた。財界長老たちがアクが強い西田氏を嫌ったからだ。
前出の激白には、経団連会長を取り逃がした恨み辛みがほとばしっている。歴代社長の内紛の背景には、「財界総理になりたい」という病理が横たわっている。東芝の崩壊をもたらした宿痾であった。
(了)
【文・構成:森村 和男】<COMPANY INFORMATION>
(株)東芝
代 表:綱川 智
所在地:東京都港区芝浦1-1-1
創 業:1875年7月
資本金:4,999億9,999万7,000円
売上高:(17/3連結)4兆8,708億円関連キーワード
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