2024年12月23日( 月 )

山口銀行前頭取~故福田浩一氏葬送

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 2月18日に脳腫瘍で亡くなった山口銀行前頭取の福田浩一氏(享年65歳)のお別れの会が11日、山口県下関市の海峡メッセ下関で営まれた。首相夫人の安倍昭恵氏や、下関商工会議所の川上康男会頭、北九州商工会議所の利島康司会頭など、生前、親交のあった政財界の関係者ら約1,500人が献花に訪れた。
 遡れば、福田氏は2004年5月21日(金)午後1時から開催された臨時取締役会議で、一期2年で改選を迎えた田原鐵之助頭取と交代し、51歳の若さで山口銀行頭取に就任。16年6月に吉村猛頭取と交代し、代表権のない山口銀行会長に就任していた。
 最年少の取締役だった福田氏を頭取に抜擢したのは、当時相談役だった田中耕三元頭取だった。隠然たる影響力を持っていたのだ。その頭取交代劇は筆者が「Net IB」で1年2カ月にわたり連載し、「実録 頭取交替」(講談社)として発売した小説に描かれている。
 田中氏は2002年6月から2017年9月30日まで実に15年余り、91歳まで常勤相談役として毎日出勤して「院政」を続けていたが、現在は非常勤の特別社友となっている。
 福田氏は頭取在任の12年間、田中相談役の監視を受けていたことになる。忸怩たる重圧が福田氏を病気へと追いやったように思われる。
 田中相談役からの指示を受け、田原頭取罷免に賛成した当時の役員8名のうち、福田氏を含め3人はこの世にいない。
 今こそ福田氏の死を無駄にせず、吉村山口FG社長(兼山口銀行頭取)のもとに行員およびOBが結集し、盛り立てていくことが求められているといえるのではないだろうか。

【(株)データ・マックス顧問 浜崎裕治】

(海峡メッセ下関)

 

  

 

 

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