山口銀行前頭取、故福田浩一氏葬送~広島
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2月18日に脳腫瘍で亡くなった山口フィナンシャルグループ(FG)前社長・会長(山口銀行前頭取・会長)の福田浩一氏(享年65歳)の「お別れの会」が4月11日、山口FGの本社がある下関の海峡メッセ下関で開催された。
今日20日午前11時からは、広島市のANAクラウンプラザホテル広島(三階オーキッド)で葬儀が営まれた。広島商工会議所の深山英樹会頭、マツダ工業の小飼雅道社長など、生前、親交のあった財界関係者を中心に約1,000人が献花に訪れた。◆広島で福田氏の「お別れの会」を開催したのは、山口FG傘下にもみじ銀行があるからだ。
もみじ銀行は、広島総合銀行とせとうち銀行が2001年9月28日に合併して、もみじホールディングスを設立し、その傘下に入っていた。もみじ銀行は第二地方銀行では屈指の規模を誇っていたが、バブル崩壊時に旧広島総合銀行が受けた公的資金が経営上の重荷となり、倒産寸前の状況となっていた。
そのような時、山口銀行は2004年5月21日(金)午後1時から臨時取締役会議を開催。一期2年で改選を迎えた田原鐵之助頭取を更迭し、51歳の福田浩一取締役が山口銀行頭取に就任するというクーデターが発生したのだ。
最年少の取締役だった福田氏を頭取に抜擢したのは、当時相談役だった田中耕三元頭取で、隠然たる影響力を持っていた。その頭取交代劇は筆者が「NetIB-News」に1年2カ月にわたり連載し、「実録 頭取交替」(講談社)として発売した小説に描かれている。
田中氏は2002年6月から2017年9月30日まで実に15年余り、91歳になるまで常勤相談役として毎日出勤して「院政」を続けていたが、現在は非常勤の特別社友となっている。◆金融庁は山口銀行の頭取交代劇には批判的だった。そんな中、隣県のもみじ銀行が公的資金の返済ができずにいた。そのため、金融庁から「頭取交代劇を認める代わりに、もみじ銀行を引き取ること」という条件を提示され、山口銀行の経営陣は「これ幸い」と引き受けたというのが真相だ。
◆2005年(平成17年)に山口銀行ともみじホールディングスの間で経営統合を前提にした資本提携を行い、共同持株会社「山口フィナンシャルグループ」(YMFG)を2006年10月1日に設立。持株会社の本店は山口県下関市竹崎町の山口銀行内におかれた。広島総合銀行が導入していた公的資金は、2005年12月に山口銀行ともみじホールディングスが取得・消却することにより完済した。
田中相談役からの指示を受け、田原頭取罷免に賛成した当時の役員8名のうち、福田氏を含め3人はもうこの世にいない。
今こそ、頭取交代劇を教訓として、吉村山口FG社長(兼山口銀行頭取)のもとに、行員およびOBが一丸となって結集することが求められているといえるのではないだろうか。【(株)データ・マックス顧問 浜崎裕治】
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