中内ダイエーなくして、福岡がここまで発展することはなかった(6)~プロ野球に参入
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阪神タイガースの優勝に目覚める
突然、ダイエーがプロ野球球団を所有し、福岡を拠点にするという話が公になり、衝撃が走った。
ダイエーは、バレーボールやマラソンなどスポーツチームをもち、スポーツの振興にも積極的に関わっていたし、資金も豊富だった。「いつかは球団をもちたい」という思いをもっていたとしても不思議ではない。
しかし、広く生活者を相手にする小売業では、「特定の球団を所有することで、ほかの球団ファンからの支持が得られなくなる」のではないかという不安をダイエー社長である中内功氏は抱いていたようで、プロの球団経営には慎重な考えをもっていた。日本における野球というスポーツの影響力が、いかに大きかったかという裏返しといえなくもない。
それでも中内氏は、次第にプロ野球経営に興味をもち始めることになる。中内氏が「プロ野球球団をもちたい」と思う決定的な出来事が起きた。それが、1985(昭和60)年の阪神タイガースの優勝である。21年ぶりの優勝に阪神ファンと大阪が熱狂し、社会現象と化した。その熱狂ぶりは、中内氏の心を揺さぶり、それまで巣くっていた不安を払拭してしまう。
「プロ野球は、連日のように新聞の話題となり、大きな宣伝効果も期待できる。これは商売になる」――と、天才経営者は考えるようになった。しかも、阪神タイガースが優勝した85年は、業界で初めてとなる売上高1兆円超えを達成し、ハワイのアラモアナショッピングセンターを買収するなど、豊富な資金力で多角化を進め、事業を拡大していた時期でもあった。広告費と思えば高くない
球団経営はカネがかかる。しかし、広告塔としての価値は高い。当時、ダイエーが広告費として使っていた予算は200億円ともいわれ、球団経営の赤字は広告費で補てんできる規模だと考えれば、中内氏にとって球団を所有するメリットは大きい。決して高い買い物ではないはずだ。
プロ球団の取得を本気で考え始めた中内氏は、当時、セ・リーグ会長を務めていた鈴木隆二氏に球団取得への協力を要請するなど、対象となる球団を探し始める。球団買収のために水面下で動いたのが、中内氏からの信頼が厚かった鈴木達郎専務と福岡ダイエーホークスの初代球団社長となった鵜木洋二氏だった。鈴木氏は、専務として中内氏から絶大な信頼を得ている人物。球団買収の件も、完全に鈴木専務に任せていたようだ。
鵜木氏は当時、ダイエー神戸本店室長を務めていた。鵜木氏にはこんなエピソードがある。鵜木氏は大学卒業を前に、いわゆる一流企業から就職内定を受けていた。ある日、ゼミの教授から「すごい男がいるから会ってみろ」と薦められる。そこで、ダイエーの神戸・三宮店にいる中内氏を訪ねた。その際、「一緒に日本の物価を下げよう」と言われた言葉に惹かれ、64年、一流企業の内定を蹴ってダイエーに入社した。当時のダイエーは、まだ上場前の会社だったが、鵜木氏は中内という経営者に大きな可能性を感じたのであろう。経営者としての中内氏について、「経営者も人間だから、人事に感情が入る。しかし中内さんは、能力を認めたら、その人に重要な仕事を任せることができた人。そして、その人を育てようと思ったら、マンツーマンで指導する。当然、仕事には厳しかったが、中内さんの人柄を慕う人は今でも多い」と話す関係者たちもいた。
たしかに、ダイエーは優秀な人材を世に送り出した企業であると評される。経営者としてだけでなく、人としても、中内氏の人を惹きつける魅力が大きかったということだろう。
ほぼ決まったロッテとの交渉
買収先として当初、交渉を進めていたのは、ホークスを所有する南海電鉄ではなく、ロッテだった。87年暮にロッテから球団身売りの話がもち掛けられ、2人は水面下でロッテとの交渉を進めた。ロッテの重光武雄オーナーや球団社長を務めていた松井静郎副社長との会談、行政への根回しも行い、球団譲渡はほぼ確定の状況でまとめ上げていた。店舗に並べるロッテの商品を増やすよう指示が出るなど、社内でも極秘裏に準備が進められていたようだ。中内氏は、球団を買収したら神戸に移転させる構想をもっていた。
ところが、ロッテの買収は現実のものとはならなかった。南海ホークスの買収話がもち上がったからだ。
南海ホークスは、50年代から60年代にかけて9度のリーグ優勝と2度の日本一を飾った名門チームである。73年にもリーグ優勝をはたすが、78年以降、優勝から遠ざかっていた。赤字経営の球団は、親会社にとって負担となる。南海ホークスの晩年には、赤字は年間10数億円にのぼったという。当時の親会社である南海電鉄にとっては、低迷を続け、しかも赤字を増やし続ける球団は、手に余る存在となっていたのだろう。幾度か身売り話も出ていた。
しかも、南海電鉄は94年の関西国際空港の開港にともない、難波駅周辺の再開発計画を立てていた。その中心にあったのが、南海ホークスがホームグラウンドとしていた大阪球場である。大阪球場は、再開発計画のなかで取り壊しが決まっていた。急遽、南海と交渉
鈴木氏は、球団買収のチャンスと捉えていたが、なかなか話が進まない。経営状態が悪化していた南海の買収には、以前からサントリーや松下電器、ワコールなどの名前が挙がっていたが、オーナーの川勝傳(かわかつ・でん)南海電鉄社長が、「俺の目の黒いうちは売らない」と反対していた。経営陣が球団を売りたいと思っても、関西経済界でも強い影響力をもつ川勝氏に一蹴されてしまう。
ところが、球団の身売りを拒み続けてきた川勝氏が88年春、脳梗塞で急逝する。跡を受けた南海電鉄社長で球団オーナーに就任した吉村茂夫氏は、累積赤字を抱える球団の売却に着手せざるを得ないと決断し、球団売却に向けて動く。すると、中内氏が球団をもちたがっているという情報が飛び込んできた。
ダイエーと南海電鉄をつないだのは、両社のメインバンクであった三和銀行だと言われている。同行の仲介で、ホークスの買収話が一気に進むことになった。中内氏は、決まりかけていたロッテではなく、ホークスを選ぶ決断を下す。鈴木氏と鵜木氏は、吉村オーナーを始め、南海のメインバンクの首脳などと会談を重ね、同年夏には基本合意に至った。球団は神戸へ
球団買収の基本合意には漕ぎ着けたが、球団の本拠地をどこにするかという問題があった。南海ホークスの球場は、関西国際空港にともなう難波駅周辺の再開発計画で取り壊しとなるからだ。
中内氏は、ホークスの本拠地を神戸に移したいと考えていた。中内氏自身、生まれは大阪だが育ちは神戸で思い入れも強い。また、当時の中内氏は、神戸商工会議所の副会頭という立場にあった。ホークスを大阪から神戸にもっていくことで、神戸経済の活性化を図りたいと考えたのだろう。そしてそれは、中内氏が神戸商工会議所の会頭になる手土産となるはずである。
88年の春に川勝氏が急逝したわずか数カ月後の同年夏には、ダイエーと南海の間でホークス買収は基本合意まで漕ぎ着けた。この件については、「すべてが正式に決まるまでは買収の話は公表しない」と両社で約束をしていた。
ところが同年秋、「ダイエーがホークス買収か!?」という情報が流れた。ダイエー系ユニード側から漏れた…というより、漏らしたというべきか。
鈴木専務は、福岡市の桑原敬一市長と福岡の財界トップにも情報を流したようだ。この報道によって、ダイエーのホークス買収が公となり、世間は大変な騒ぎとなり、日本中の関心事となった。ダイエー側は、「球団買収などあり得ない」と中内氏が完全否定したが、世間の反応が想像以上に大きかったことで、中内氏は球団取得への思いをさらに強くしたともいわれる。桑原福岡市長が直談判
福岡市も、ホークス買収に敏感に反応した。情報を得た桑原敬一・福岡市長は幹部をともない、神戸オリエンタルホテルに中内氏を訪ねた。極秘会談である。
会談の席で桑原市長は、「福岡をアジアの玄関口にしたい。力を貸してほしい」と頭を下げた。中内氏はダイエーのおひざ元であり、つながりをもつ神戸に球団をもっていきたいという思いを抱いていたが、桑原市長の言葉に心を動かされた。このときの様子を鵜木氏は、「中内さんを動かしたのは、桑原市長のアジアの玄関口という言葉でした。中内さんはロマンチストだったから、市長の言葉にロマンを感じたのでしょうね」と、福岡への移転が決まった瞬間を振り返る。
一代でダイエー帝国を築いたカリスマ経営者を評すとき、天才や時代の寵児、流通王などさまざまな言葉が挙げられるが、実は、ロマンチストだったと評する人も多い。鵜木氏も、「ロマンチストでなければ、あれほどの巨額の投資はできなかったはず。何もない建設予定地で、『本当につくるんですか?』と聞くと、『世界が驚くものを造れ』と蹴とばされましたよ。厳しいなかにも優しさと義理人情に篤い方でした」と、懐かしそうに目を細める。福岡の市民運動も奏功
移転先を神戸から福岡へと変更したのは、桑原市長の言葉がきっかけだったわけだが、ほかにも福岡移転を後押しするものがあったはずである。
その1つが、福岡JCが中心となって福岡の市民運動にまで高めた、プロ野球球団の誘致活動であったことは想像に難くない。当時、福岡のほかに球団誘致に力を入れている地域はなかったようだから、新球団の拠点にするには、環境が整っていたわけだ。また、福岡を足がかりにして、アジアへの進出も模索していただろうから、このタイミングで福岡に巨額の投資を決断するための条件が整っていると、中内氏は考えたのではなかろうか。
88年10月、ついにダイエーが南海ホークスを買収し、「福岡ダイエーホークス」が誕生した。ダイエーホークスの本拠地は、平和台球場とした。ここに、10年間空白だった福岡に、プロ野球の灯が再び灯ることになった。
(つづく)
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