鹿児島の歴史(10) 「鹿児島市」以後
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ここでは、明治中期~戦後までを、主に「九州一」や「九州初」、逆に九州内でもとくに遅れたことなどにふれ、鹿児島の特徴を述べていきます。
1889(明治22)年の市町村制で、鹿児島市が誕生します。面積は約14平方キロメートル、人口は5万7,822人で九州一の都市でした。そのあと6回におよぶ周辺市町村との吸収・合併もあり、現在、面積は約547平方キロメートル、人口は約60万人です。鹿児島市以外については、当初、県はだいたい昔からの「郷」を単位として「村」としたため、「町」はありませんでした。谷山村は人口2万人を超え、全国3大村の1つといわれました。
1897(明治30)年、八代-鹿児島間の鉄道敷設工事を起工しています。計画時が日清戦争の頃で、国防の関係から、山間部ルート(現・肥薩線)となりました。ループ式の難工事や日露戦争による工事の一時中断もあり、完成は1909(明治42)年です。明治末になって、東京-鹿児島間が開通します。
1898(明治31)年、水力発電により、市内送電が始まりました。民間で実用化したのは九州初で、全国でも4、5番目でした。1905(明治38)年に3大紡績所といわれた鹿児島紡績所が閉鎖しました。1906(明治39)年には電話利用が始まりました。九州で10番目でしたが、「電話は病気を運ぶ」という風評もありました。1912(大正元)年、民間による電車営業が開始されました。全国で28番目でしたが、1916(大正5)年には利用者拡大のため動物園ができました。この動物園は、東京の上野、京都の円山、大阪の天王寺についで全国で4番目の開園でした。1930(昭和5)年(この時は市営)には九州初のゾウ展示です。
1913(大正2)年、入場定員1,300名で九州最大の鹿児島座が天文館に開場しました。1914(大正3)年、桜島の大爆発です。溶岩によって桜島と大隅半島が陸続きになり、一時は「鹿児島全市に生物なし」の誤報も流れました。四五連隊と警察の活躍で、治安状態はよかったそうです。
1919(大正8)年に、鹿児島港開港(直接外国貿易のできる港)です。全国で38番目、九州でも13番目です。 25年間運動して、ようやくの認可です。1929(昭和4)年、不況が続く中で、八幡市についで公益質舗開設、1935(昭和10)年NHK開局(九州で5番目)、翌1936(昭和11)年、中央卸売市場落成(日本で7番目、九州初)です。1938(昭和13)年は、鹿児島飛行場の起工式がありました。軍の関係から日本上空を外国の飛行機は飛べなかったため、市営の国際飛行場の予定でしたが、海軍の軍用飛行場として完成しました。
戦争末期の鹿児島市空襲は、3~8月までに8回あり、死者3,329名、負傷者4,633名、行方不明35名などです。戦災面積は、市街地の93%にあたる1,079万平方メートルで、東京・大阪・名古屋・横浜・神戸・川崎に次ぐ規模でした。
戦後の1946(昭和21)年9月には、戦後復興都市計画が決定。当初454万坪の予定でしたが、同25年292万坪に変更しました。結果的には、名古屋(約1,045万坪)、東京(約677万坪)に次ぐ全国第3位の広さ(約313万坪)で、現在の鹿児島市街地につながります。
(了)
<プロフィール>
麓 純雄(ふもと・すみお)
1957年生。鹿児島大学教育学部卒、兵庫教育大学大学院修士課程社会系コース修了。元公立小学校長。著書に『奄美の歴史入門』(2011)『谷山の歴史入門』(2014)『鹿児島市の歴史入門』(2016 以上、南方新社)。監修・共著に『都道府県別日本の地理データマップ〈第3版〉九州・沖縄地方7』(2017 小峰書店)。ほか「たけしの新世界七不思議大百科 古代文明ミステリー」(テレビ東京 2017.1.13放送)で、谷山の秀頼伝説の解説などに携わる。関連キーワード
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