2024年12月28日( 土 )

出光興産と昭和シェルの経営統合~出光創業家の功罪を問う(後)

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同族オーナー型経営から資本と経営の分離へ

 「海賊と呼ばれた男」こと出光佐三氏は1981年3月7日、95歳で亡くなった。長男の昭介氏がオーナーの座を引き継いだ。佐三氏は、人間尊重を謳い、「出勤簿なし、定年なし、労働組合なし」の三無主義を掲げた。昭介氏は、佐三氏の人間尊重、大家族主義の理念を実践すべく、非上場企業であることを貫いた。

 時代は移る。出光は2兆4,000億円の有利子負債を抱え経営が悪化した。巨大企業になった出光が、非上場であり続けることに無理があった。大家族主義の幕引きをしたのは、98年に7代目社長に就いた出光昭氏であった。佐三氏の末弟で、2代目社長の計助氏の次男である。
 昭氏と天坊昭彦氏(後に社長)は、生き残るために外部資本の導入は必要と、オーナーの昭介氏を説得。昭介氏は渋々、説得を受け入れた。2000年より外部資本を導入。06年に株式を上場した。
 昭介氏は難色を示していたが、最悪の場合、会社更生法もあり得るという厳しい現実の前に、同族オーナー型経営から資本と経営を分離する経営への移行を了承した。出光興産はようやく普通の会社になった。

創業家の悲願、長男・次男を役員へ

 それから10年、創業家と経営陣の間に波風が立つことはなかった。ところが、出光興産と昭和シェル石油との統合計画が発表されると、創業家は、突如、統合反対の狼煙を上げた。
 それまで沈黙を守ってきた創業家が、なぜ、経営に介入するようになったのか。
 キーマンは昭介名誉会長の妻、千恵子夫人だ。高齢な昭介名誉会長に代わり、創業家を仕切っているとされる。千恵子夫人の悲願は、長男の正和氏と次男の正道氏を出光興産の取締役にして、将来はオーナーの指定席である会長の座に付けること。しかし、昭和シェル石油と統合すれば、出光家は一株主に格下げになり、兄弟の役員昇進の可能性は限りなく小さくなる。そこで、統合反対を唱えて揺さぶりをかけたというのが、大方の見方だった。

 創業家による出光株の持ち分は関連会社を含めて約28.5%。長男の正和氏は、新会社に創業家から取締役2人を派遣することを条件に合併に賛成する方針に転じた。正和氏は自身が社長を務める筆頭株主の日章興産(持株比率13.04%)と個人名義(同1.6%)を合わせて14.2%の出光株をもつ。創業家側の半分の株を握っている正和氏が賛成に一転したことが、各紙が泥沼抗争は決着と報じた理由だ。ただ、千恵子夫人らは反対の姿勢を崩していないとされる。今後は経営側の対応に委ねられた。
 それにしても、出光興産と昭和シェル石油との統合に反対した出光創業家の振る舞いは適切なものだっただろうか。結局は息子たちを取締役に付けたかっただけではないのか。語るに落ちたと言わざるを得ない。

(了)

 
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