ウォルマートはなぜ日本市場からの撤退に追い込まれたのか(後)
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小売業世界最大手の米ウォルマートが傘下の国内スーパー大手、西友を売却する方針だと7月13日に新聞各紙が一斉に報じた。黒船と恐れられた巨大外資は、上陸から20年もたたずに撤退することになる。ウォルマートはなぜ、日本で受け入れられなかったのか。
セブン-イレブンが日本進出に成功した理由
外資流通が日本上陸に成功した例も少なくない。1つだけ挙げるとすれば、コンビニストアのセブン-イレブン・ジャパンである。
NHKの人気番組「プロジェクトX~挑戦者たち」を録画に収めている。2000年10月31日に放映されたこの番組のタイトルは「日米逆転!コンビニをつくった素人たち」。いつ観ても感動的だ。
「70年代、スーパー業界17位でジリ貧にあえいでいたイトーヨーカ堂。窓際の部署にいた30代の社員がアメリカで新しいビジネスを見つけた。小さな店舗に豊富な日用雑貨をそろえた長時間営業の店、コンビニエンスストアだった」というナレーションで始まる。セブン-イレブンの黄金時代に作成された「コンビニの夜明けの歌」である。
その頃、中途採用組で新しい事業をプランニングする部署の責任者だった鈴木敏文氏らは、外食レストラン、デニーズ社との提携交渉のために、たびたび米国を訪れた。デニーズ社は日本市場を眼中に置いていなかったから交渉は難航した。
途方に暮れたある日のこと。小さな店に出会う。セブン-イレブンである。便利な店=コンビニエンスストアと呼ばれる業態のこの店は、品ぞろえが豊富で、一切値引きしない。
「日本でもビジネスになる」。鈴木氏はこう直感した。鈴木氏はすぐさま、セブン-イレブンを運営するテキサス州ダラスにあるサウスランド本社に向かった。提携交渉は難航したが、1973年11月に契約を結んだ。しかし、巨額な契約金と常識を超える莫大なロイヤリティを支払う契約は屈辱的なものだ。マニュアルは日本ではまったく役に立たない代物だった。
そのため日本のセブン-イレブンの店づくりは、一から始めた。今度は社内に異動希望者がいない。新聞広告で社員を募集。元商社マンや自衛隊のパイロット、(労組)の元闘士、パン屋の営業など15人の素人集団はゼロから独自のマニュアルを練った。1974年5月、東京・江東区豊洲に酒屋を改造したセブン-イレブン・ジャパンの第1号店が開店した。人口に膾炙するコンビニ創世の神話である。
セブン-イレブンが成功したポイントは何か。本場のビジネスモデルを直輸入したのではなく、日本風にアレンジしたということ。和魂洋才の妙にある。そして、日本で成功するためには有能なパートナーが不可欠だということだ。鈴木敏文氏という傑出した経営者をパートナーに得たことが成功した最大の理由だろう。
日本企業が海外に進出する時も、同じことがいえる。日本流をもち込むなかれ。有能なパートナーを見つけることに尽きる。古来、ことわざにいう。「郷に入っては、郷に従え」。
(了)
【森村 和男】
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