「鉄道は国家なり」~国土を支える基幹インフラの過去・現在・未来(2)
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JR九州 初代社長 石井 幸孝 氏
鉄道の登場が当時の物流や産業にどれほどのインパクトを与えたのか、現代の我々にはとても想像できない。携帯電話、インターネット、AIなど「時代を変える」技術を日々目にしているが、鉄道もまた世界を変えた技術だったのだ。鉄道が、九州と日本の現在と未来にどのような影響を与えるのか。国鉄分割民営化で誕生したJR九州を上場会社にまで育て上げた石井幸孝氏が説き起こす。
富国強兵、殖産興業と鉄道開通
明治維新を成し遂げた日本も、鉄道敷設への挑戦を始めます。1872年に新橋-横浜間で始まった鉄道の営業運転が、日本の鉄道の夜明けだと広く認識されています。明治新政府は殖産興業・富国強兵という2つの目標の実現に向けて鉄道の敷設に尽力しましたが、東海道線など一部の幹線以外は費用不足のため建設することはできませんでした。そこで、半官半民の「民営鉄道」が全国の鉄道敷設を担います。九州でも「九州鉄道」が発足し、門司〜八代間、鳥栖〜長崎間、小倉〜宇佐間などの路線を開き、当時貿易港として栄えた門司と筑豊の炭田地帯を結びました。1906年には「鉄道国有法」が成立し、ほとんどの民営鉄道が国有化されます。これが、後に日本国有鉄道、すなわち国鉄となるのです。
鉄道は、日本の工業化を力強くけん引していきます。筑豊炭鉱の石炭、八幡製鐵所の鉄は若松から全国へ、門司港から貨物船で世界へと運ばれていきます。重要拠点である門司や若松の駅が、旧国鉄では非常に地位が高い駅だったのはこのためです。
陸軍が鉄道の主要路線をなるべく内陸にしろ、と要請したのはこのころで、本来は海からの艦砲射撃を受けないようにするためでした。これが回りまわって、2011年の東日本大震災による津波から、幹線鉄道である東北本線を守ることになるのだから不思議なめぐり合わせです。
またこの当時、日本は鉄道のレール幅を1,067mmに統一しました。これは国際的には「狭軌」といわれる植民地規格です。世界で最も多く採用されているレール幅は1,435mm(標準軌)、ロシアやスペイン・ポルトガルなどではさらに広い広軌が採用されています。レール幅が広ければ、より高速に大量の積み荷を運搬することができます。そのため日本でも「狭軌を標準軌に改めよう」という試みが何度かあったものの、鉄道網を全国に張りめぐらせることが優先され、実を結びませんでした。現在、新幹線は標準軌、JR各社の在来線は1,067mmの狭軌を採用しています。
(つづく)
【聞き手・文・構成:深水 央】<プロフィール>
石井 幸孝 (いしい・よしたか)
1932年10月広島県呉市生まれ。55年3月、東京大学工学部機械工学科を卒業後、同年4月、国鉄に入社。蒸気機関車の補修などを担当し、59年からはディーゼル車両担当技師を務めた。85年、常務理事・首都圏本部長に就任し、国鉄分割・民営化に携わる。86年、九州総局長を経て、翌87年に発足した九州旅客鉄道(株)(JR九州)の初代代表取締役社長に就任。多角経営に取り組み、民間企業JR九州を軌道に乗せた。2002年に同社会長を退任。関連キーワード
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