2024年12月23日( 月 )

シシリー島便り・日本人ガイド、神島えり奈氏の現地レポート~パレルモの地下水路とマフィアの歴史(後)

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 マフィアは、農民たちを大地主から助けてやるのと引換えに、高利貸しとオメルタ(暗黙の掟)を要求した。マフィアは田舎を搾取していただけでなく、運輸業、硫黄業、家畜業、さらに裁判所や警察署なども牛耳る、裏の最高権力を握る犯罪組織だった。

 あらゆる機関から利益を得、半端ではない富を握るのだ。オメルタ(暗黙の掟)があるため、誰も何もいうことができない。1800年代の終わり、蒸気船が発達するとともにシシリーからアメリカに渡る移民が増えた。その際にシシリーマフィアたちもアメリカへと渡り、コーザノストラと呼ばれる犯罪組織となった。

 たくさんのグループが、犯罪に手を染めながら大きくなっていった。当時のマフィアたちの収入源は、人さらい、偽札づくり、恐喝、レモンの密売などであった。1891年以降は不満、反発をもつ市民たちが集まり、労働組合も各地に盛んにつくられた。マフィア撲滅に非常に力を注いだ、ジョバンニ・ファルコーネ判事はパレルモで、いやイタリアの国民的英雄となった人物だ。精力的にマフィアの取り締まりをしたため、マフィアから第一の敵とされた。

 彼の周囲には、常に厳重な警備がしかれた。ファルコーネ判事は1992年5月23日、自家用車で妻とパレルモ空港から市内へと向かっていた。3台の警察の護衛車もついていた。カパーチという街を通過した地点で、車ごと爆殺された。高速道路の下に爆薬をしかけ、山の麓にある小屋のなかで見張りをしていた者が、車が通過するその瞬間を狙ってリモートコントロールで爆発させる仕掛けだった。暗殺成功後、マフィアの大ボス・サルヴァトーレ・リイナは、シャンパンを開けて祝ったという。

 同年、ファルコーネ判事とコンビを組んだパオロ・ボルセリーノ判事もパレルモ市内で、車ごと爆殺された。この事件後、国民のマフィアに対する反感は一気に高まる。翌1994年には首謀者であったリイナが逮捕され、終身刑となり、2017年11月に獄中で病死した。

 毎年、ファルコーネ判事暗殺された5月23日と、ボルセリーノ判事が暗殺された7月19日に、パレルモ市内では大規模なデモ行進が行われる。そして、パレルモ空港は彼らの名前をとって「ファルコーネ ボルセリーノ空港」と呼ばれる。

 ここ数年、パレルモ市内の店舗入口ドア付近にオレンジ色で“addio pizzo”と書かれたシールを見かける。これはマフィアに反対する市民の運動の1つでもある。現代のマフィアの主な活動は、麻薬取引、売春、暗殺、密輸、恐喝、みかじめ料(縄張り地区で営業する店から恐喝する占有料)などである。この「みかじめ料を絶対に払わない」「マフィアと無関係である」「マフィア反対」を示すのが、この“addio pizzo”というコミュニティだ。

 シシリー島民たちは、マフィアに対する恐怖感と共存している。普段、日常生活で出会う人たちがマフィアに関係しているかどうかはまったくわからないが、犯罪組織は常に裏で動いており、イタリア政府とのつながりも取りざたされている。シシリー、パレルモ発祥とされるマフィアの歴史は、まさにシシリーの代名詞であり、負の歴史としても島民たちに受け継がれている。

(了)

<プロフィール>
神島 えり奈(かみしま・えりな)
2000年上智大学外国語学部ポルトガル語学科を卒業後、東京の旅行会社に就職。約2年半勤めたのち同社を退職、単身イタリアへ。2003年7月、シシリー島パレルモの旅行会社に就職、現在に至る。

 

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