脊振の自然に魅せられて(番外編2)~子どものころの思い出
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写真機
小学校に入る前まで、大きな池のそばにある家に住んでいました。父は、その当時ではめずらしく写真に凝っていました。父は公務員、しかも戦後すぐで、日本全体が貧しい時代です。父は時代を先取りしていたのかもしれません。
父は写真を自分で現像していました。カメラは沈胴式の「コニカⅠ型」で、自宅にはゼンマイ仕掛けのフラッシュや木製の引伸機がありました。父が生まれたばかりの弟を椅子に座らせ大変苦労して記念写真を撮っていたのを覚えています。その時の父のしぐさは、写真館さながらのものでした。椅子のうえに毛布を敷いて弟を乗せ、弟を支えるのに毛布のなかに母が隠れ、後ろから手を添えていました。「まぁーだ」と弟に言う母の声が何度もしていました。毛布のなかから出てきた母は汗びっしょりでした。
自家現像の為、家のなかには薬品の調合をする天秤計や、ホウロウのバットなど、いろいろなものがありました。父は暗室代わりの押し入れで作業をするので、決まって父の写真の現像作業は夜でした。私は、このころから写真への興味が湧いたのかもしれません。散髪
当時の子どもたちが床屋に行くことはほとんどありません。自宅には手動のバリカンがありました。髪の毛が伸びてくるとイスに座らせられ、首にタオルを巻かれ、バリカンで“ジョリジョリ”とやられたものです。散髪が終わった後、いつも背中がチクチクするのがいやでした。父は散髪が上手で、大学生になってからも何度か床屋用のハサミで長髪の私の髪を散髪してくれました。
下手な人がバリカンで散髪をすると「虎刈り」になっていました。「虎刈り」というのは髪が均等に切られず、ところどころ虎のシマ模様のようになることです。
シャンプーなどなく、栄養状態が悪い時代でしたので、丸坊主の頭に「シラクモ」(頭部白癬)ができている子どもがいました。シラクモは頭皮の皮膚疾患で、患部が白い雲のようになります。今は激減しましたが、昔はクラスにシラクモができている子どもが何人もいました。(つづく)
脊振の自然を愛する会
代表 池田 友行関連キーワード
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