地場企業を育成したバンカー(1)~企業と街を育んだ銀行マン
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福岡銀行元専務 杉浦 博夫 氏
地域の発展には、商工業の育成が欠かせない。それを担うのが、主に地元の銀行であろう。預金という形で企業の財産を守るとともに、必要な資金需要に応えることで事業の維持、発展を支える。一般的には、銀行マンに求められるのはこのようなことだが、なかには企業経営者の育成や企業連携、文化度の向上、地域への貢献などを果たし、福岡の経済発展に大きく貢献した銀行マンがいた。今シリーズでは、3名の元バンカーにスポットをあてる。
財界の調整役
福岡の発展には、さまざまな人たちの思いや支えがあった。そのおかげで福岡の今がある。都市の発展には、経済振興と文化レベルの引き上げが必要である。経済の発展は文化を育て、文化の醸成はさらなる経済効果を生む。
福岡に貢献した銀行マンとして、地場最大手の福岡銀行から思い浮かぶのは2人の専務だ。1人は杉浦博夫氏、もう1人は富重泰行氏である。杉浦氏は、福岡銀行の専務として地元財界、なかでも七社会の調整役として多くの経済人から頼りにされた人物であるが、杉浦氏を語る時、プロ野球球団誘致を実現し、ホークスを福岡になくてはならない市民球団に育て上げた功績を忘れてはならない。1978(昭和53)年、30年近くも福岡市民に愛されたライオンズが去り、プロ野球の灯が消えた。福岡市民にとって、ライオンズの存在は大きかった。西武ライオンズとして埼玉に移ってからは、なおさらその存在意義の大きさを感じた市民も多かった。そこで、プロ野球の球団を福岡にもう一度誘致しようという運動が起きた。
その中心的役割をはたしたのが、福岡JC(青年会議所)だ。西鉄の全盛期を築いた稲尾和久氏の思いを引き継いだ福岡JC(福岡青年会議所)のメンバーが 86(昭和61)年、スポーツ文化問題委員会をつくり、球団誘致活動を始めた。誘致を実現するためには、福岡JCが取り組む活動を市民まで巻き込んだ運動に高める必要がある。そこで、署名運動を展開し50万人もの署名を集めたり、さまざまなイベントを開催して人々の関心を高めたりしようとした。実は、この署名活動やイベントを成功させるためには、財界と政界の協力が不可欠であり、取りまとめ役ができる窓口となる有力な人物が必要となる。政界では当時、福岡市議会議長だった山崎広太郎氏がその任を務めた。山崎氏はJCのOBでもあり協力的だった。一方、経済界の窓口を誰に頼むか。当然、七社会(当時の七社会は九州電力、福岡銀行、西日本銀行、福岡シティ銀行、西部ガス、西日本鉄道、九電工で構成していたが、2004年に西日本銀行と福岡シティ銀行が合併し西日本シティ銀行となったことで、九州旅客鉄道が加入)を始め福岡の財界に顔が利く人物ということになる。そう考えた時に、政治的なことをふくめ、七社会や財界の調整役であり、世話が行き届く人物として知られた杉浦氏しかいないだろうという結論に達した。
実は、杉浦氏への球団誘致運動の協力要請は今回が初めてではなかった。山崎広太郎氏が市議会議長を務める前、大江健一氏の代に球団誘致の決議を行っていたようだ。そして、杉浦氏に協力を要請したが、可能性があるかないかがわからないような雲をつかむような話に、杉浦氏は首を縦に振らなかった。
(つづく)
【宇野 秀史】
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