地場企業を育成したバンカー(2)~企業と街を育んだ銀行マン
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福岡銀行元専務 杉浦 博夫 氏
地域の発展には、商工業の育成が欠かせない。それを担うのが、主に地元の銀行であろう。預金という形で企業の財産を守るとともに、必要な資金需要に応えることで事業の維持、発展を支える。一般的には、銀行マンに求められるのはこのようなことだが、なかには企業経営者の育成や企業連携、文化度の向上、地域への貢献などを果たし、福岡の経済発展に大きく貢献した銀行マンがいた。今シリーズでは、3名の元バンカーにスポットをあてる。
球団誘致運動で財界の窓口となる
山崎議長と大江氏、小田展生(おだ歯科医院院長)氏などが連れ立って、福岡銀行に杉浦氏を訪ねた。この時も杉浦氏から、「自分がそんな世話をするのは難しい」と断られてしまう。当時は、プロ野球の球団を再び福岡に誘致することには賛同しても、本当に実現させようと行動を起こす人はごくわずかという状況だった。JC関係者は、「当初、協力的だったのは一部の企業で、ほとんどの企業からは相手にしてもらえなかった」と振り返る。そうした空気のなか、杉浦氏が断ったのも無理はない。
しかし、いろいろと話をしていると、「東京にいる時は、西鉄クリッパーズの時代から球場に足を運び、浴衣を着て、しゃもじを皆に配り、俺がベンチの上に上がって応援していた。そのくらい、野球が好きだった」と、杉浦氏は大の野球ファンだということを懐かしそうに語ってくれた。そんな話をしているうちに、杉浦氏から「正式な準備委員会をつくるまえに、まず誘致委員会をつくる準備委員会をつくったらどうか」という案を授けられたので、「それじゃ、お願いします」といって引き揚げた。翌日、杉浦氏は海外に出かけた。
杉浦氏自身は、はっきりと返事をしたつもりはなかったかもしれない。しかし、JC側は「承諾してもらった」ものと思った。杉浦氏が海外渡航の間に市民総決起大会を開催し、「今、海外に行っておられますが、杉浦さんに承諾をいただきました」と報告し、杉浦氏を委員長、山崎氏を副委員長とする「プロ野球誘致準備委員会」の発足を発表した。
驚いたのは杉浦氏だった。帰国するなりマスコミが押し掛けてきたのだ。財界からも「1年単位で事業を行う青年会議所のいうことを聞いていたら大変なことになる。なぜ引き受けたのか」などと言われたようだが、すべて自分の責任として引き受けた。杉浦氏はJC側の勇み足だと否定することもできたはずだが、「『今さら断るわけにはいかんだろう』と引き受けてくださった」と小田氏はその時の様子を振り返る。
こうして、政界は山崎氏、財界は杉浦氏が窓口となって球団誘致運動を本格化し、市民を巻き込んだ運動へと発展していく。一方で、誘致する球団をロッテに絞り、交渉も始めた。杉浦氏や山崎氏とJCメンバーである小田氏などは何度もロッテを訪問し、合意点を見出そうと交渉を重ねた。JCの誘致活動は3年におよんだ。単年事業を基本とするJCとしては異例の取り組みであった。山崎氏は、桑原市長を巻き込み球団を歓迎するための環境を整え、杉浦氏は、年間予約席の購入などで財界の取りまとめ役として力を発揮した。
しかし、実際に福岡に来たのはダイエーが買収したホークスだった。当時、小売日本一を誇るガリバーが来るのだ。地元の財界や商店街等は、売上に影響を受けるのではないかと戦々恐々となる。ダイエーアレルギーともいえる地元財界の強い反発は、中内社長があいさつに訪問しても、課長クラスしか応対に出て来ないなど冷ややかなものだった。パーティーやホークスの選手とまわるゴルフコンペを開催しても、トップは顔を出さない。ダイエーホークスの初代監督となった杉浦忠氏が企業回りをしても、同じような対応だった。さすがにダイエー側も頭を抱えた。
(つづく)
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