地場企業を育成したバンカー(3)~企業と街を育んだ銀行マン
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福岡銀行元専務 杉浦 博夫 氏
地域の発展には、商工業の育成が欠かせない。それを担うのが、主に地元の銀行であろう。預金という形で企業の財産を守るとともに、必要な資金需要に応えることで事業の維持、発展を支える。一般的には、銀行マンに求められるのはこのようなことだが、なかには企業経営者の育成や企業連携、文化度の向上、地域への貢献などを果たし、福岡の経済発展に大きく貢献した銀行マンがいた。今シリーズでは、3名の元バンカーにスポットをあてる。
球団支援の先頭に立つ
この時も杉浦氏が立ち上がった。当時のホークスの監督、杉浦忠氏を伴って財界のトップを訪ね、協力を得られるよう説いてまわった。当然、多くの企業トップの対応は冷ややかだったが、「博多に新しい嫁が来てくれたんやけん、応援してくださいよ。今度逃げられたら、もう二度と来てくれんですよ」と杉浦氏からいわれると、財界トップも協力しないわけにはいかなかった。こうして、福岡ダイエーホークスは、徐々に地元財界にも受け入れられていった。
福岡市民は祭好きで、「あきやすのすきやす」といわれるほど飽きっぽく移り気な気質をもつといわれる。新しい球団が福岡にきて、応援の機運が盛り上がっても、そのエネルギーを維持するのは難しい。1989(平成元)年に球団が発足したものの、成績は振るわず、万年Bクラスに甘んじていた。チームの成績は、観客動員数にも影響する。杉浦氏は、「市民球団ホークス後援会」の会長として、チームの負けが込んでも人々が球場に応援に来てくれるよう激励会やチャリティーゴルフなども開催し、ファンと選手との交流を深めた。それでも、チームが低迷し観客が減ると、街頭で市民に球場に足を運ぶよう呼びかけるなど、ホークスを支え続けた。
行政の支援を得るのにも市民球団ホークス後援会は、重要な役割をはたした。「今では考えられないことだが、当時は、地下鉄の駅に試合日程を貼ったり、福岡ドーム近くの歩道橋に『球場に行こう』という応援メッセージを貼ったりしたことも。いち民間企業だからダメだといわれるほど、ホークスを取り巻く環境は厳しかった」と小田氏は語る。この時も、後援会の名前で許可を得て、市民に周知することができた。市民球団ホークス後援会は、まさに球団と市民、財界、行政を繋ぐ接着剤としての重要な役割をはたしていたし、後援会の活動が現在の市民球団として地域に愛される基礎を築いたといえるだろう。そして杉浦氏は、その先頭に立ち続けた。
市民球団ホークス後援会の事務局長として杉浦氏とともにホークスを支えた福岡県会議員・加地邦雄氏は、「自分をかえりみずリスクを負ってでも、福岡の為なら何かやろうという非常に漢気(おとこぎ)のある方だった」と語る。さらに、「難しい球団誘致のために50万人の署名を集めるなど、3年かけてやり遂げたということで、福岡JCに対する財界からの評価が上がった。誘致活動の実績が、アジア太平洋こども会議イン福岡の開催に福岡の財界が協力してくれる力となった」と球団誘致活動をやり遂げたことが、その後のJCにとって大きな意義をもつと分析している。アジア太平洋こども会議イン福岡は、今年で30周年を迎える。
杉浦氏の私心を超えた考えと行動があったからこそ、球団と市民との絆は強くなった。こうした杉浦氏と後援会の努力の甲斐もあって、ホークスは89年の125万人から初優勝をはたした99年には234万人を動員する人気球団へと成長、福岡市民にとってなくてはならない存在となった。
(つづく)
【宇野 秀史】
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