地場企業を育成したバンカー(4)~企業と街を育んだ銀行マン
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福岡銀行元専務 杉浦 博夫 氏
地域の発展には、商工業の育成が欠かせない。それを担うのが、主に地元の銀行であろう。預金という形で企業の財産を守るとともに、必要な資金需要に応えることで事業の維持、発展を支える。一般的には、銀行マンに求められるのはこのようなことだが、なかには企業経営者の育成や企業連携、文化度の向上、地域への貢献などを果たし、福岡の経済発展に大きく貢献した銀行マンがいた。今シリーズでは、3名の元バンカーにスポットをあてる。
優勝パレードの資金集め
1999(平成11)年、福岡ダイエーホークスが初のリーグ優勝をはたした。その後の日本シリーズでは、中日ドラゴンズを破り日本一にも輝いた。福岡の球団が優勝したのは、西鉄ライオンズが63(昭和38)年にリーグ優勝をはたして以来、実に36年間ぶりである。待ちに待った優勝に福岡中が歓喜に沸いた。
優勝の凱旋パレードが福岡市内の中洲~天神~平和台球場跡と北九州市街地で開催された。パレードが開催された沿道は優勝を称える市民でごった返し、大変な盛り上がりをみせた。パレードには選手や王貞治監督、中内功オーナーとともに杉浦氏の姿もあった。
ホークスが優勝したことで優勝セールの開催やイベントなど、もちろん優勝パレード関係で大きな経済効果が地域にもたらされた。当時のホークスが優勝したことによる経済効果に関する記録は見当たらないが、03(平成15)年にリーグ優勝と日本一をはたした際の経済効果を福岡県が約417億円と試算している。初優勝から4年後の数字ではあるが、ダイエーホークスとして初優勝をはたした意義を考えれば、大きな経済効果を地域にもたらしたことは想像に難くない。百貨店や企業だけでなく、飲食店や商店など地域を支えている多くの人たちもホークスの優勝によって恩恵を受けることができた。
この優勝パレードを主催したのは、市民球団ホークス後援会であった。パレードの開催には莫大な金がかかる。市民からの寄付を募るなど広く協力を求めるが、まとまった金額となると、やはり財界が中心となる。この時も後援会会長・杉浦氏が財界を回り資金を集めた。杉浦氏自身も資金を提供しているし、これまでの杉浦氏の活動を知っている財界関係者も杉浦氏の顔で資金を提供する。こうして資金を集め、盛大なパレードを開催することができたわけだ。ホークスのパレードで天井部分を取り除いたバスが話題になったが、この車両は杉浦氏が西鉄に依頼して、既存のバスを改装してもらったものだという。
球団誘致活動から財界の調整役として関わり、批判を受けたこともあった。ダイエーホークスが福岡にきてからは、反対派を説き伏せて回った。チームの成績が振るわずに観客が減れば、街頭に立って球場に足を運ぶよう呼びかけた。球団設立から11年目にしてつかんだ優勝だが、球団を育み支えてきた杉浦氏の脳裏にはさまざまな思いが去来したことだろう。
ホークスは、親会社ダイエーの経営不振から04(平成16)年、ソフトバンクに売却されたが、杉浦氏が育てた球団は残り、子どもたちに夢を与え、市民には希望と元気を与える存在としてなくてはならない存在になった。杉浦氏が願った「福岡にプロ野球を」という思いは受け継がれた。
(つづく)
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