地場企業を育成したバンカー(5)~企業と街を育んだ銀行マン
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福岡銀行元専務 杉浦 博夫 氏
地域の発展には、商工業の育成が欠かせない。それを担うのが、主に地元の銀行であろう。預金という形で企業の財産を守るとともに、必要な資金需要に応えることで事業の維持、発展を支える。一般的には、銀行マンに求められるのはこのようなことだが、なかには企業経営者の育成や企業連携、文化度の向上、地域への貢献などを果たし、福岡の経済発展に大きく貢献した銀行マンがいた。今シリーズでは、3名の元バンカーにスポットをあてる。
「芸妓衆は町の商人が育てる」
町(都市)には格がある――。杉浦氏がよく口にしていた言葉だ。国際空港や交響楽団、地下鉄、相撲、野球、それに券番があるかが都市の格を考える際に重要であると位置づけ、とくに「芸妓衆は町の商人が育てるものだ」と説いていた。
券番とは、登録している芸妓(芸者・芸子)の取りつぎや花代と呼ばれる芸妓の出演料の清算などを行う事務所のことで、博多券番は1889(明治22)年に誕生、130年近い歴史をもつ。大正時代には、5つの券番が存在したが、時代とともに減少した、1985(昭和60)年には、残っていた券番がまとまり博多券番となった。
杉浦氏は、「芸妓衆を育てられない町は二流だ。だから、彼女たちは守らなければいけない。できなければ商人が笑われる」と訴え続けた。経済の発展は文化を育てる。文化度が上がれば、経済も押し上げられる。文化度を上げることは、結果的に町や都市の発展に欠かせないことだといえるだろう。芸妓衆は、人をもてなす町の顔でもある。芸妓衆は、数こそ減ってはいるが、京都や東京、福井、愛知、秋田など他の都市にも存在する。博多よりも小規模の都市でも、行政や企業、地域の協力を得ながらその伝統を守り伝えているところもある。博多の規模で、芸妓衆を守れないのは、杉浦氏が指摘した通り「二流」と見られかねない。
杉浦氏は、財界にも働きかけて博多の芸妓衆を守った。財界でも積極的に券番を利用し、博多の文化振興を図った。杉浦氏のよき理解者であったのが、九州電力の堤部長だった。堤氏の理解と協力があったことで、博多の芸という文化を残さなければいけないという思いが実現できた。この2人が同時期にいたことは、福岡にとって幸運であった。
江戸時代の豪商たちは、飢饉や災害で地域経済が大きなダメージを受けた時、地域の復興と技術を守るため、あえて建物を回収したり、豪華な家を建てたりして地域に仕事をつくった。杉浦氏の伝統文化を守ろうとしたことも、同じ考えに基づいているのではなかろうか。
杉浦氏の「芸妓衆は町の商人が育てるものだ」という言葉には、今の企業人としての生き方を伝えてくれているように思う。
(つづく)
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