地場企業を育成したバンカー~経営者の指導や町の文化向上にも尽力(1)
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福岡銀行元専務 富重 泰行 氏
地域の発展には、商工業の育成が欠かせない。それを担うのが、主に地元の銀行であろう。預金という形で企業の財産を守るとともに、必要な資金需要に応えることで事業の維持、発展を支える。一般的には、銀行マンに求められるのはこのようなことだが、なかには企業経営者の育成や企業連携、文化度の向上、地域への貢献などを果たし、福岡の経済発展に大きく貢献した銀行マンがいた。今シリーズでは、3名の元バンカーにスポットをあてる。
博多を愛した人
福岡銀行からもう1人、元専務の富重泰行氏を挙げたい。杉浦氏と同じように博多の文化を大事にし、町の文化度を押し上げることに力を注いだ1人である。
30年前、料理人など飲食に関わる人たちが集まり「博多食文化の会」という団体を設立した。会員の意識の高揚とともに社会貢献活動を通して、料理人および飲食業に従事する人の社会的地位の向上を図ることを目指した。設立後は定期的に例会を開き、会員同士が学ぶ機会をつくり、交流も深めた。社会的に弱い立場にある子どもたちにおいしいものを食べてもらいたいという思いからチャリティーイベントなども毎年開催、今年で27回目を数える。富重氏は、この会の会長を引き受けた。
富重氏に会長を依頼したのが、会の世話人である吉田安政氏である。吉田氏から会の主旨を聞いた富重氏は、「それは良いことだ。しかし、そういうことをやるには覚悟が必要なんだ。2回や3回で止めるんなら、やらないことだ。子どもたちに夢を与えたら、君の目玉が黒いうちはやり続けなきゃいけないんだぞ。その覚悟ができているのならやったらいい」と吉田氏の覚悟を問うた。「富さん、大丈夫だ。自分の目玉の黒いうちはやりますよ」と吉田氏も応じ、会長就任を引き受けてもらったという。
銀行の専務ともなると、対応しなければならない案件も多い。しかし、富重氏は会の面倒をとことんみた。会では、会員を紹介した冊子を発刊したが、富重氏はいつもそれをポケットに入れて、会う人に「こういう会があるから」と紹介したり、店にお客を連れて来ることも多かった。会員の店を回っては、料理人を激励していたようだ。
博多の芸妓衆も大切にした。博多の文化を守るという意識は杉浦氏も持ち続けていたので、それを受け継いだのだろう。かつて28年間所属していた福岡中央ロータリークラブで富重氏のことを知るメンバーは、「富重さんは、とにかく明るい人で、博識でもあったから、自然と周りに人が集まった。伝統的な文化についても生き字引のように実によく知っておられ、とくに福岡の文化には関心が高かった。それで、芸妓衆も大事にされた。夜間例会に富重さんが声をかけ、芸妓さんたちがきてくれることもあった。とにかく博多を愛した人だった」などの話を聞くことができた。
前出の吉田氏は、「西日本新聞の青木秀(しげる)元社長。末永文化振興財団の末永直行理事長、そして富重さんが同時期にいたことが福岡にとっては、大変な幸運だった」と指摘する。青木氏は、絵や美術品、音楽などに造詣が深く、まさに福岡の文化芸術を牽引した人物であろう。末永氏は1987(昭和62)年、末永文化振興財団を設立、末永文化センターは、音楽ホールや美術館を備え、音楽ホールは九州交響楽団に練習場として提供したり、広く一般に音楽や演劇などの会場としても開放している。福岡で交響楽団が活動できる環境を整えた人である。
文化レベルを押し上げるのは、地域経済にとっても良い効果をもたらす。しかし、そういうことがわかっていても、実際に富重氏のように資金や時間を投じることができる人は少ない。富重氏の文化度を上げるための活動は、今日、福岡の活力源の1つになっている。
(つづく)
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