2024年12月24日( 火 )

日本庭園は日本人の心そのもの、絶やさぬよう伝え続けたい(後)

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(株) 別府梢風園

欧州で好まれる日本の庭、ケリー王妃の思いをかたちに

別府梢風園が手がけたモナコ公国の日本庭園

 同社の代表的な日本庭園にモナコ公国につくられた池泉廻遊式庭園がある。広さは8000m2。欧州初の本格日本庭園である。この庭は故・グレース・ケリー王妃のたっての願いでつくられたものだ。ケリー王妃が来日した際、京都の桂離宮を案内された。その美しさに心を奪われたケリー王妃は「モナコにも日本庭園をつくりたい」と熱望するようになる。王妃は52歳で亡くなられ、庭園への夢は夫のレーニエ大公へと引き継がれた。1990年、レーニエ大公の命を受けたフォトリエ建設大臣が、大阪で開催されていた「国際花と緑の博覧会」を訪れる。目的は日本庭園をつくるパートナー探しだ。その博覧会で庭園コンテスト部門・名誉賞を受賞した別府梢風園の庭園を大臣が見たことがきっかけで、モナコの日本庭園を手がけることになったのだ。世界で2番目に狭い国土のモナコ公国に8000m2もの土地を確保することは難しい。そこでなんと、日本庭園のために海を埋め立てたのだ。土地の有効利用のため庭の地下は駐車場として活用されることになった。本格的な滝や池を配した日本庭園は、駐車場の耐荷重なども計算され、つくり上げられたのだ。完成には4年の月日がかかったが、今では国内有数の観光名所となっている。

 このモナコの日本庭園が縁でフランスのラ・セル=サン=クルー城にも日本庭園をつくる機会を得た。こちらは枯山水を取り入れた庭園。完成後にはフランス外務省から同社別府保男会長にメダルが授与されるほど、喜びをもって受け入れられた。

 「海外で日本庭園は高く評価されています。外国人が日本にきて、見たいと思う風景はどのようなものでしょうか。いざ日本にきてみたら、望む光景は見つけることができない。そんな時代になってしまうと日本人の独自性が1つ失われることになってしまうのではないでしょうか。日本人の心が生み出した日本の庭園は決してなくしてはならないものだと思います」(同)。

幅広い技術を学びに集う文化の守り人を育てる

 同社にやってくる新入社員は、造園業者の家系の2代目、3代目が多い。これは同社で修行することで日本庭園を含めた幅広い技術を学ぶことができるためだ。5年間、同社で従業員として現場で汗をかけば一通りの技術を習得することができる。

 「日本庭園だけでなく、さまざまな造園工事を手がけていますから、私たちのもとには技術の習得を目的に人が集まってきます。そして巣立っていき、家業のある地域で技術を生かしていってくれる。今度はビジネスパートナーとして協力していくというかたちに変わっていきます。日本庭園には独自の価値観、技術が必要となります。その目をもった技術者を1人でも多く育てていくことも、私たちの使命だと感じています」。

 時代とともに変化していく社会では新たに生まれるものと失われていくものがある。失ってはならないもの、その1つが日本庭園の思想なのだと別府社長は語る。別府梢風園は文化の守り人集団なのである。

(了)

<COMPANY INFORMATION>
代 表:別府 壽信
所在地:福岡市東区青葉1-6-53
設 立:1976年6月
資本金:8,500万円
TEL:092-691-0678
URL:http://www.shoufuen.co.jp

<プロフィール>
別府 壽信(べっぷ・ひさのぶ)

 1955年、福岡県生まれ。西日本短期大学造園学科卒業後、76年に(株)別府梢風園に入社。85年に同社代表取締役社長に就任した。(一社)福岡市造園建設業協会の会長も務める。趣味は読書、ゴルフ。

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