『親を棄てる子どもたち ―新しい「姨棄山」のかたちを求めて』の意味するところ(前)
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大さんのシニアリポート第76回
『親を棄てる子どもたち 新しい「姥捨山」のかたちを求めて』(平凡社新書)をようやく上梓することができた。書き始めてから2年を要した。タイトルにあるように、「家族の崩壊」を書いた作品なのだが、これが一般的な内容ではなく、私が実際に住んでいる地域の「棄老」というリアルを「現場報告」「定点観測」的な構成にこだわったためである。つまり、「個人(家族)が特定されることへの排除」に苦慮した。筆者が「現場の事実」をさらけ出すという手法にはかなりの勇気を要した。
「自分が住む地域の“棄老事件”を自ら告発する」という前代未聞の苦労を強いられたのは、私が運営する「サロン幸福亭ぐるり」(以下「ぐるり」)で実際に起きた「棄老事件」を無視できなかったからだ。3年前の春、社会福祉協議会社会福祉協議会(社協)と組んで、この地域の福祉全般の相談に乗るという取り組みに挑んだ。社会福祉士の資格を有するベテランのYさんの目には、「市内で最も劣悪な環境にある」といわれるこの地区の実像が見えていたのだ。年に数件ある飛び降り自殺は、その悲惨さゆえ住人の口に上るものの、すぐにいつもの生活に戻った。住人の目には、深層に潜む「地域の異常さ」は映らない。
この欄で再三報告したので「棄老事件」の詳細は省くが、Yさんに急かされるようにして関わりをもつと、不思議なことに「地域の異常さ」に気づき、見えてくるものなのである。1つが見えてくると、周辺にあるほかの「異常さ」が見えてくる。当事者だけではなく、それに関わりをもつ行政の関係部署、地域包括支援センター(包括)、介護施設、病院などとのつながりがいかに希薄なものなのかが見えて、唖然とさせられた。
「個人情報保護法」は役人の「いい訳」と「護身用の壁」として都合よく使われ、肝心の住民に開示されることはない。「地域に住む住民が主役」「みんなで高齢住民や生活弱者を見守りましょう」と叫ぶ行政マンの声が空しく聞こえる。ボランティアも、結果として行政の便利な手足として使い回され、個人の本意は無視されがちである。もっとも「それがボランティアというもの」という声に納得して関わるボランティアも少なくない。私はボランティアという意識で「棄老事件」に関わったのではない。運営する(運営費の捻出からスタッフや来亭者への気配りまで)「ぐるり」と同様、地域住民(地域に住む知人)という立場にこだわった。知人なら、役所の規則に縛られることなく、自由に行動することが可能だ。みずからその案件に「関わる」「関わらない」という納得性をもつことが最も重要だと思っている。
拙著の目次を配列してみたい。「1章 実の子が親を棄てていく」「2章 親を棄てた子の事件簿 詐欺の被害にあった親を罵倒する子/子に棄てられた親の孤独死/遺骨の引き取りさえも拒否する子 「3章 親を棄てられなかった私 妻と私の母親介護日記/親の介護でみえてきた問題点」「4章 『棄老』に至る要因の根底には」「5章 認知症とすれ違う家族の思い」「6章 なぜ、子は親を棄てるようになったのか」「7章 持続可能な『高齢者扶助システム』を目指して」。地域の実情を報告するだけではなく、「棄老」に至るまでの要因と、私なりの解決策をまとめた。その意味では、前著『団地が死んでいく』(平凡社新書 平成20年)とは姉妹関係にある著書だと思っている。棄老の要因は「家族の崩壊」にある。しかし、一度壊れた家族の再構築はありえない。「家族という概念」は大きく変貌した。だから日本会議の唱える「『伝統的』な家族観の固守」もありえない。
(つづく)
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