【福岡県知事選】保守分裂選挙は小川洋氏の圧勝~どうなる、麻生氏の責任問題
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「忖度」発言で勝負が決まった福岡県知事選
「(自民党の)吉田幹事長が私の顔を見て、『塚田、わかっているな。これは総理の地元と副総理の地元の事業なのだよ』と。(中略)すごく物わかりがいい私はすぐ忖度(そんたく)して『わかりました』と答えました」
7日に投開票が行われ、現職の小川洋氏(69)が圧勝した福岡県知事選挙。じつは、県知事選の結果は早ければ昨年12月29日に、自民党福岡県連が武内氏を推薦候補に決定した時点で決まっていたとみる県政関係者がほとんどだ。この決定に、自民党幹事長・二階俊博氏に近い武田良太衆院議員(福岡11区)や三原朝彦衆院議員(同9区)が反発、元自民党副総裁の山崎拓氏や古賀誠氏らを巻き込んだ「麻生包囲網」に発展し、県民に泥仕合を強く印象づけた。さらに小川氏勝利を決定づけたのが、冒頭の塚田一郎前国土交通副大臣の「忖度」発言だった。
忖度発言があったのは知事選挙を約1週間後に控えた4月1日。北九州市で開かれた、あろうことか武内和久氏(47)の集会でのことだった。北九州市と山口県下関市を結ぶ道路の事業化について、「私は忖度します。国直轄調査に引き上げた」などとも発言していた。誰の目にも明らかな「利益誘導宣言」と受け取られるこの発言は当然、野党から猛烈な批判を受け、与党内からもすぐに責任問題を問う声があがった。「忖度」は森友学園疑惑や加計学園疑惑でもキーワードの一つとしてクローズアップされていたため、安倍政権が神経をとがらせるのは当然だった。
猛烈な批判を受けた塚田氏は、5日に、「発言が国政の停滞を招いた」として辞表を提出。与党内からも「言っていい言葉と、言ってはいけない言葉(がある)」(自民党・甘利選対委員長)、「事実と違なることを政治家として発言したことはとんでもないこと」(公明党・高木国対委員長)などと猛烈な批判を受けるなど、塚田氏はまさに四面楚歌状態。同日には武内氏の対抗馬である小川洋氏まで「下関北九州道路は、その必要性と緊急性を多くの方々に理解してもらっている。忖度などあるはずがない」と余裕のコメントを出し、県知事選はこの時点で「勝負あり」だったのだ。
県知事選私物化批判の麻生氏に、責任回避のシナリオ
塚田氏のあまりにもわかりやすい問題発言について、違った見方をする県政関係者も複数いる。
「知名度で圧倒的に劣る武内氏に勝ち目がないことは、選挙戦前からわかっていたこと。麻生氏が『私怨』とも受け取れる動機で武内氏を自民党公認にねじこんだことが知られるにつれ、その差は詰まるどころか開き続けていた。麻生氏の元秘書で、『筋金入りの麻生派』を自称する塚田氏はあえて問題発言をすることで、戦犯追及の目を麻生氏から自分に向けようとしたのではないか。麻生氏の指示があったかどうかは定かではないが、それこそ『忖度』があったのかもしれない」(県内の国政経験者)
麻生氏に担ぎ出されたことで赤っ恥をかかされたかたちになった武内氏だが、じつは敗戦は織り込み積みで、県知事選は次(国政選挙)へ向けた知名度アップキャンペーンだったとみる関係者は多い。つまり、小川氏は自民党公認をはずされながらも選挙戦を危なげなく乗り切り、一方の麻生氏は強引な公認で党内での力をみせつけたうえで意地を通し、武内氏は国政選挙へ向けた地ならしをした。そうみれば今回の県知事選は敗者のいない選挙だったという見方もできるのだ。
もっとも、2016年の衆院福岡6区補欠選挙で、麻生氏が推す候補の応援演説要請を小川氏が断ったことを根に持ったとみられる県知事選私物化は、結果的に県内の自民党支持者に面従腹背の難しい戦いを強いることになったため、反発も大きい。実際、一部在京週刊誌などは、武内氏が敗北したことで「麻生が引退するのではないか」という情報をつかんで取材に動いていたほどだ。
「安倍さんに強引に武内公認をねじこんだことや、自民党県連を混乱させたことは事実。本来なら責任論は免れないところだが、安倍さんにとって麻生さんは政権維持の頼みの綱、絶対に切ることはできない。すでに『麻生が責任をとって辞意を表明→安倍首相が慰留して終わり』という三文芝居のシナリオができているようだ」(県政関係者)という。子分の塚田氏に負けず劣らずの問題発言を繰り返し、記者会見で見せる傲慢な態度が批判を浴びている麻生氏もすでに78歳、山崎拓氏や古賀誠氏らライバルたちが次々と引退したなかで、福岡選出議員「最後の大物」の政界引退はあるのか。
「麻生さんは、もう1期やった後で、長男の将豊(まさひろ)さんに譲るつもりでいるようです」(県政関係者)。将豊氏は1984年生まれの34歳。大学在学中にITベンチャーを立ち上げ、福岡に戻ってからはトヨタ九州を経て2012年に麻生商事に入社。2018年6月に麻生商事の代表取締役社長に就任している。小学校の一時期を福岡で過ごし(後に東京の慶應幼稚舎に転入)、いまでは父親の太郎氏の足取りをなぞるかのように、飯塚JC(青年会議所)の専務理事を務めながら着々と地固めを進めているところだという(太郎氏は日本JC第28代会頭)。
【統一地方選取材班】
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