2024年12月27日( 金 )

パナソニックの創業家出身、松下正幸副会長が退任 創業家と経営陣の抗争劇の幕がやっと下りる(前)

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 世襲をめぐる抗争がメディアを賑わしている。LIXILグループ、大塚家具、デサント。いずれも世襲企業である。折しも、パナソニックの松下正幸副会長(73)が、6月27日の定時株主総会で、取締役副会長を退き、特別顧問に就く、と報じられた。創業家と経営陣の抗争の歴史にピリオドが打たれた。世襲企業は、パナソニックの抗争から何を教訓として汲み取ったらよいのだろうか。

世襲企業の4つの落とし穴

 多くの企業は、創業者の親族が出資し、一族が経営するファミリー企業として始まる。やがて、規模が大きくなり、創業者が引退の時期を迎えると、否応なしに、世襲を続けるかどうかの問題に向き合うことになる。

 世襲・同族企業には4つの落とし穴がある。

 1つ目が公私混同。経営者が企業を私物化すること。大王製紙の御曹司はバカラ賭博に会社のカネを106億円使い込んだ。
 2つ目が骨肉の争い。大塚家具の親娘の経営権争奪戦は典型である。
 3つ目が親バカ。誰が見ても経営者の器ではないのに、血を分けた息子というだけで社長を継がせる。タカタがいい例だ。
 4つ目が自信過剰。デサントの御曹司は、韓国事業で成功した自信から、大株主の伊藤忠忠商事と全面対決し墓穴を掘った。

 LIXILグループの御曹司は、経営者の器でないのにトップに就いた親バカ型とオーナーを自負する自信過剰型の要素をもつ。

“経営の神様”幸之助氏と娘婿の正治氏の骨肉の争い

 では、パナソニックは何か。発端は“経営の神様”松下幸之助氏と娘婿の松下正治氏の骨肉の争いである。

 幸之助氏は正治氏に、事業の継承と同時に、松下家の血の継承を託した。しかし、それが不釣り合いな養子縁組だったことを知ることになる。無一文からの叩き上げの幸之助氏と、元伯爵家の正治氏とは人生観から商売についての見方、考え方まで、相容れることはなかった。正治氏を後継者にしていったんは引退するが、正治氏の指導力に失望した幸之助氏は復帰する。いまなお語り継がれている「熱海会談」である。

 東京オリンピックを間近に控えた1964年7月、松下電器産業は全国の販売店や代理店の社長を集めて熱海で会議を開いた。オリンピック景気が終わり、松下電器の販売網は瀕死の状態に陥っていた。販売・代理店から苦情・批判が相次いだ。

 幸之助氏が「血の小便が出るまで苦労されましたか」と反論したのは、この席である。結局、幸之助氏は「松下電器が悪かった。この一言につきます」と、ハンカチで涙を押さえながら詫びた。

 幸之助氏は、熱海会談の後、ただちに営業本部長代行として陣頭指揮を執った。この時の迅速の対応から、幸之助氏の経営手腕はさらに高い評価を受け、「経営の神様」と崇められるようになる。

 それは同時に、自ら後継者に指名した正治氏に、自らの手で社長失格の烙印を押したことを意味した。以後、両者の確執は抜き差しならぬものになり、亡くなるまで、2人が和解することはなかった。

幸之助氏から世襲阻止を託された山下俊彦氏

 松下幸之助氏は1989年4月、94歳で死去した。幸之助氏が亡くなると、松下家の人々は、一族の総領となった正治氏を先頭に立て、正治氏の長男、正幸氏を社長に擁立しょうと動いた。松下家の人々とは、幸之助氏の妻、むめの氏と、幸之助氏の1人娘で正治氏の妻、幸子氏である。

 松下家による世襲阻止に、立ち上がったのが山下俊彦氏である。山下氏は創業家以外から初の社長であるだけでなく、26人の取締役のうち25番目のヒラ取締役からの大抜擢。「山下跳び」として社長交代の歴史に刻まれている。

 山下氏は幸之助氏の遺志を引き継ぎ、世襲阻止の先頭に立つ。

 丁稚奉公からの叩き上げの幸之助氏は、商売第一、仕事が趣味の人物だ。事業が何よりも大事なリアリストである。幸之助氏は正治氏の経営者としての能力を、早くから見限っていた。世襲にこだわらなかった幸之助氏は正幸氏を取締役にすることには反対だった。

 岩瀬達哉氏は『ドキュメント パナソニック人事抗争史』(講談社+α文庫)で、こう書き出している。

 〈皮肉なことに、パナソニックの今日の凋落を招いた人事抗争は、元をたどれば「経営の神様」とたたえられた創業者松下幸之助の“遺言”に起因するところが大きかった。
 幸之助が他界したのは平成元(1989)年だったが、その9年前、当時の社長山下俊彦にこう命じていたからだ。女婿で、取締役会長の松下正治をなるべく早い時期に経営陣から引退させるようにと――。
 山下と特別親しかった元副社長が証言する。
 「幸之助さんは、山下さんに、ポケットマネーで50億円用意するから、これを正治さんに渡し、引退させたうえ、以後、経営には一切口出ししないように約束させてくれ、とまでいうとるんですな。この話、私、山下さんから直接聞きました」〉


(つづく)

【森村 和男】

(後)

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