2024年11月23日( 土 )

『脊振の自然に魅せられて』 道標設置も最終段階へ(前)

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ワンゲル仲間と登山地図を囲んで記念撮影。右端が筆者。
裏に西南学院大学ワンダーフォーゲル部と明記、早良区役所の焼印も。

 脊振山系の道標設置が新聞で報道され、市民や団体から協力したいとの申し入れが相次ぐようになった。

 2008年11月15日(土)は三瀬峠と野河内渓谷への設置を計画した。三瀬峠には金山の従走路と井原山の縦走路の起点に登山地図と道標を国道を挟んで左右に設置した。

 三瀬峠の井原山縦走路の起点は福岡市スポーツ振興事業団登山教室の男女8名ほどのグループが設置作業に参加した。そのなかには、大学で同期の女性もいた。偶然とはいえ卒業以来の再会だった。

 ワンゲルグループは三瀬峠から金山の登山道起点の設置を終え、野河内渓谷へと移動した。野河内渓谷の入り口で、井原山へ続く林道に登山地図と道標の設置を行った。

 この日は、今まで手伝ってくれたワンゲルの学生たちによる最終作業日だった。スコップで穴掘りを開始すると穴のなかからひと抱えほどある大きな石が出てきた。何とかこの石をほり出そうとするが、びくともしない。

 仕方がないので、少し場所を変え、穴掘り作業を進めた。登山地図の支柱2本、道標の支柱1本、計3本分の深さ50cm程の穴を掘った。最後の道標設置となる学生たちは賑やかに作業を進めていた。

 設置を終えたので、ブルーシートを広げて車座となり、私の仲間である自然観察指導員1名、ワンゲルOB、男女のワンゲル部員合わせて7名、早良区役所職員2名の計10名で、すっかり昼食の定番となった鶏飯を頬張った。

 食事が終わり、この日参加した学生たち1人ひとりに道標設置への思いを語ってもらい、それをビデオに収めた。主将のHを皮切りに2カ月にもおよぶ道標設置の思いを各人が語り始めた。1年生で女性部員のT嬢が長い髪を揺らしながら恥ずかしそうに語ってくれたのが、とても印象的だった。道標設置から10年が過ぎ、T嬢はHと結婚し、今では立派なお母さんになっている。

 道標設置の最終日、11月22日(土)の設置場所は金山の登山口の坊主が滝ルート入り口と30分ほど登った場所にある高圧鉄塔付近である。

 この日は登山教室の受講生が最終日ということもあり、東京からM、北九州からO、初めて参加するIも来て、道標制作や道標設置に参加したワンゲルOBが集合した。

 ワンゲルOBと早良区役所のNが登山教室受講生の指導役になり、設置作業は受講生たちに任せた。ワンゲルの同期Iは初めての参加なので、記念に登山地図の釘打ちをしてもらった。

 登山地図の裏にはトンカチ館で作業をしたときに私が「西南学院大学ワンダーフォーゲル部、2008年10月」と記銘しておいた。

 設置作業が終了し、ワンゲル仲間たちで登山地図の銘を囲み記念撮影を行った。皆、道標設置作業をやり遂げたことに大いに満足し、笑顔だった。

 その後、ワンゲル仲間を残し、早良区役所のNと高圧鉄塔近くの2カ所での作業に向かった。残る2カ所は登山教室の受講生グループに行ってもらった。

 Nが支柱を肩に担いで杉林のなかの登山道を登って行く。30分ほど登ると作業地点に着いた。鉄塔との分岐地点での作業が終了し、沢ぞいの直登坊主が滝ルート分岐での作業を開始する。

 土が柔らかいので、穴堀りは短時間で終わった。その後、支柱を固定し、道標のボルトを締める作業に移る。最後に道標の固定をするボルト締めを私が記念に行った。工具のラチェット(スパナの1種で、負荷がこれ以上かからないというところで止まるようになっている便利な工具)でボルトを軽く締めていく。そして最後のボルトを締めるとラチェットからカチッと音がした。これですべての道標設置が終了した。感動の瞬間である。私は思わず早良区役所のNと握手していた。

(つづく)

2019年6月25日
脊振の自然を愛する会
代表 池田 友行

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