【追悼】非常に悔いが残るお別れ、松本組専務・平島義和氏
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16日午前中、松本組から「平島義和専務が急逝」というファックスが流れてきた。
筆者は「嘘だろう!何かの間違いではないか」と、このファックスの内容に疑念を抱いた。なぜならば、今年の6月はじめに雷山ゴルフ場のレストランでお会いしたからである。「あら、雷山でのプレーは珍しいですね」とこちらから声をかけた。この時の平島氏の風貌は日焼けして精悍そのものであった。その記憶が鮮明に残っていたから、この訃報に対し、疑いを持ったのは当然のことである。
松本社長にメールを送ると「身体は元気だっただけに、突然の出来事に愕然としています。急死は家族にとって、残酷すぎる顛末でした」という沈痛な内容の返事を頂いた。
それから真相を探ってみると、定期精密検査(ドック検査)中、胃カメラを使用するために麻酔を使った。その時に操作ミスがあり、危篤状態に陥ったそうである。初歩的なミスにより命を奪われるというのは、医師の医療技術の拙さ、病院の危機管理の甘さを示したものであり、残された故人のご家族の悔しさ・無念さはいかばかりであろうか、深く同情する。
17日午後6時から、福岡県筑紫野市にある善光会館筑紫会場でしめやかに通夜が行われた。松本組の専務として気配りに長けていた平島氏に私淑した取引先の方々は数多く、会場には300名を超える参列者が列をなし、駐車場は車両が溢れんばかりに混雑していた。
平島氏は1956年6月生まれの63歳、脂が乗った仕事盛りであった。御存知の通り、平島氏は福岡県立福岡工業高校建築科を卒業後、1975年4月に松本組に入社された。同社の教育の基本は現場で鍛えること。ここで鍛錬され、入社24年目の1999年4月、営業部に配属される。ちょうど建設営業が最も厳しい時期だった。
営業部に配属されてから、故人は「水を得た魚」のように活躍。実績を積んでいった。結果、トントン拍子に階段をかけあがり10年1月には常務執行役員に昇格、12年7月には専務取締役に就任された。松本社長にとって一番、頼りがいのある存在であった。松本社長の落胆・失意は言葉では表現できないほどである。
故人とは何回かの海外、国内視察も経験した。10年前になるだろうか、香港・マカオ視察に同行した。マカオの友人たちから白酒乾杯の接待を受け、平島さんと共に足腰がふらついたことを覚えている。
3年前には福岡商工会議所の北欧視察団でも同じメンバーとなった。いつも周囲を愉快にする役回りをこなされてきた。
故人との思い出を書き綴るスペースが無くなってきた。ご本人は、天国で歯痒い思いをされ、地団太を踏んでいるのではないか!
今回の追悼文をまとめるのは本当に難しい。筆者も通夜に参列された方も全員、「本当に悔いが残るなー」という思いが本音であろう。
合掌(児玉)
法人名
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