2024年11月22日( 金 )

「記者の本分」を貫けるか~岐路に立つ西日本新聞

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ
法人情報へ

 複数の県をカバーする地方紙(ブロック紙)の、西日本における「雄」として全国的にも知られる西日本新聞。創刊142年、かつては福岡県内に根強く残る部落差別をテーマとした特集に取り組み、冤罪疑惑のある飯塚事件を伝え続けるなど、その視点と取材力は地方紙のなかではずば抜けた存在感を示していた。しかし、その西日(にしび/西日本新聞の略称)がいま、どこかヘンだ。部数低迷による経営不振が現場の判断にブレを与えていないか。記者出身の柴田建哉社長の経営手腕に対する疑念の声もあがっている。

■地方紙なら記者クラブ離脱が可能?

 記者クラブの閉鎖性と弊害については、主に海外メディアからさんざん指摘され続けてきた。最大の問題点は、徹底して対峙し、監視すべき対象である権力から部屋を与えられ、しかも優先的に情報を得られるという「監視対象(権力)との距離の近さ」の問題だ。

 新聞社、とくに地方紙の経営危機が表面化して久しいが、根本的な原因は記者クラブ制度に起因する横並び意識に帰結するという指摘もある。プレスリリースを基にしたいわゆる「発表もの」の記事が多いために各メディアがどれも同じような内容になり、それぞれの特色が薄れてしまっているのだ。

 内容が同じとなると価格競争に走りそうだが、全国紙の購読料は「なぜか」ほぼ同じ。大メディア自身が享受してきた既得権などの都合の悪いことは見て見ぬふりするご都合主義などを読者から見透かされているため、「マスゴミ」のようなネットスラングで罵倒されることも増えた。

 この記者クラブ制度について、地方紙に限っていえばその存在意義がないとする指摘がある(梅本清一著『地方紙は地域をつくる』など)。いわく、地方紙はカバーしている範囲が限られており、人員もそれなりに充実し、地元に密着した長い歴史があるために取材ソースを十分にもっている。公的機関の発表がなくとも情報収集や事実確認に駆けずり回れば十分な取材は可能だし、自治体や警察も県紙の存在感を無視することはできない……など々、記者クラブ依存脱却はまず地方紙から、という指摘はなるほどその通りかもしれない。

 西日本新聞社はこれまで「ブロック紙の雄」(※ブロック紙=複数の都府県で購読される新聞)と呼ばれ、朝日・読売・毎日など全国大手紙につぐ存在として全国的にも評価されていたが、今では現役社員でさえ「いまそんなことを口走る人間は社内にもいない。単なるローカル紙に成り下がっているのが現状だ」と自嘲気味に笑う始末だ。ブロック紙としての矜持から採算度外視で維持し続けていた発行エリアも、昨年3月に南九州から完全撤退、福岡の夏の風物詩として市民に親しまれていた大濠花火大会も昨年で終了した。

昨年9月14日の西日本新聞に掲載された、「大濠花火終了」のお知らせ
昨年9月14日の西日本新聞に掲載された、「大濠花火終了」のお知らせ

 ある社会部の記者は「高校柔道・剣道の祭典、金鷲旗と玉竜旗も聖域ではなくなる。そうなると、大げさではなくうちの存在意義を問う声もあがってくるだろう」と声を落とす。

 記者のモチベーションは下がり続けており、優秀な記者が全国紙やYahoo!、Googleなどのネットメディアに流出することも珍しくない。データ・マックスで報じた企業主導型保育事業に絡む詐欺事件で、東京の司法担当記者として取材に訪れた某全国紙の記者は西日本新聞からの転職組だった。

■社会インフラとしての新聞の役割

 西日本新聞ではネットを活用したヒット企画が話題を集めている。昨年1月に始まった「あなたの特命取材班」は、読者から寄せられた疑問や依頼を基に記者が取材して記事にするという、ネット活用と双方向性を備えた新時代の企画だ。今ではほかの地方紙とも連携して全国規模で「あな特」を展開している。

 さらに西日本新聞ではいま、いかにしてネット配信で収益を上げるのか、そのビジネスモデルを組み立てている真っ最中だという。具体的にはすでに朝日新聞や毎日新聞が始めているような課金制度の導入だ。その課金システムも、たとえば日々の買い物で溜まったポイントで記事を読めるようにするなど、「無料で記事を読むことに慣れた読者の心理的ハードルを下げる仕組みを取り入れる」(同社現役記者 談)という。当然、紙媒体は残すものの、「読者層を明確に高齢者に絞る方針も検討されている」(同)というから、ネットと本紙の記事構成はかなり異なったものになる可能性もある。

 読者層を絞り、そこに向けた紙面をつくるという「マーケティング」的な紙面構成については賛否両論あろう。ただし、そうなれば新聞はこれまでとはまったく違うメディアとして分類されることになる。

 新聞はこれまで、読者がそれほど興味はなくても最低限知るべき政治・社会情勢を届け、あるいは文化・芸術分野の評論記事を掲載して文化的素養を育てるなど、民主国家を支える社会インフラとしての役割をはたしてきた。

 ネットメディアは蓄えた閲覧履歴などを基に、それぞれの関心を惹くような記事だけを読者に届ける仕組みが確立している。そうした「関心のないことは読まない、見ない」という姿勢が成熟した社会を育てる基盤になるかというと、筆者ははなはだ懐疑的だ。政府統計の改ざんや都合の悪い資料の廃棄、さらに数々の疑惑を抱えながらも安倍政権が生きながらえているのは、メディアの劣化と無関係ではあるまい。

 多様性や網羅性こそ新聞の役割であり、優秀な記者がいなくなれば権力の監視機能は低下し、ひいては権力の暴走を許すことになる。地方紙が伝え続けなければならないことも山積している。急激な人口減による地域共同体の崩壊、中央よりも早くドラスティックに進む少子高齢化、人手不足による医療・福祉のレベル低下、日本の食を支える農業地帯の惨状、地域ボスに支配されがちな地方政治の弊害、増え続けるシャッター通りに象徴される地域経済の衰退、避けては通れない外国人労働者・移民問題…etc

 西日本新聞社が担わなければならない役割はこれまで以上に大きい。経営状況に左右されて報道機関としての軸足がぶれるような事態だけは回避すべきだ。

【特別取材班】

関連キーワード

関連記事