大戸屋HD、創業家と経営陣のお家騒動が終結~創業者が最も留意すべきは相続税だ!(中)
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発端は「焼き鳥屋事件」
16年10月3日に公表された大戸屋コンプライアンス第三者委員会(委員長・郷原信郎弁護士)がまとめた調査報告書に、お家騒動の経緯が詳しく記載されている。
それによると、長男の智仁氏と窪田社長ら会社側の対立の始まりは15年8月。場所は、東京・阿佐ヶ谷の焼き鳥屋。そこは、病気に伏せていた久実氏が行きたがっていた店だった。
窪田社長と智仁氏は久実氏の秘書らも引き連れた4人で、その店を訪れた。酒が入るにつれて2人は言い合いに発展する。
智仁氏が「僕が正当な事業の継承者だ」と思いのたけを口にする。対する窪田氏は「もっと経験を積んで地べたを這ってやらないと誰もついてこないし、そんな簡単な会社じゃない」とたしなめる。口論はヒートアップ。「(智仁氏は)もう会社に来なくていい」と発言が飛び出す。それが決定的になり、2人の関係は急速に冷え込む。
内紛の修羅場は「お骨事件」
告別式の2日後の8月3日、窪田氏は智仁氏に10月からの香港赴任を内示した。経営に参画した息子が香港に飛ばされると激怒した三枝子未亡人が反撃に出る。9月8日の出来事は報告書の白眉だ。調査報告書はテレビドラマ顔負けの面白さと話題になった。
三枝子夫人は遺骨を持ち、背後に位牌・遺影を持った智仁氏を伴いながら、裏口から社内に入ってきて、そのまま社長室に入り、扉を閉めた上、社長の机の上に遺骨と位牌、遺影を置き、その後、智仁氏が退室し、窪田氏と二人になったところで、同氏を難詰した
窪田氏はメモを残していた。
三枝子夫人は、30分ほどにわたり、窪田氏に対し、「あなたは大戸屋の社長として不適格。相応しくないので、智仁に社長をやらせる」「あなたは会社にも残らせない」「亡くなって四十九日の間もお線香を上げに来ない」「何故、智仁が香港に行くのか」「私に相談もなく勝手に決めて」「智仁は香港に行かせません」などと述べた
この事件が社内では「お骨事件」と呼ばれていたことまで報告書には記されている。
調査報告書は、対立の主な原因について「窪田社長ら経営陣と創業家の双方にある」と指摘する。両者は互いに第三者を仲介役に立てるなど、直接対話が困難なほど関係はこじれる。
両者が言いたかったこと
智仁氏、窪田氏ともに、メディアに登場して、それぞれ思いを語っている。
智仁氏は「東洋経済オンライン」(2018年1月25日付)のインタビューで、大戸屋を辞めた理由を語る。
やっぱり父が目指していた会社とは違う方向に向かっていたことが大きかった。「負の遺産」という表現で、父が「大戸屋を世界ブランドにする」ために将来に向かって種をまいていた事業などを全否定された。
たとえば、父の死後に山梨の野菜工場が清算された。中国で無農薬野菜が手に入らないという状況に鑑みて実験していた施設だった。こういう方向に向かっていくのであれば、私がいる必要はないと思った。大戸屋を辞めざるを得なかったというか、自分に嘘をついてまでこの会社に居続けることを捨てた。それぐらい、疑問を感じた
一方、窪田氏は「日経トップリーダー」(2016年11月号)でインタビューに応じた。
「今となっては、ご遺族(三枝子氏、智仁氏)の感情にもっと寄り添えればよかった」と反省の弁を述べている。では、どうして寄り添えなかったのか、と問われるとこう答えた。
「私はずっと国内事業を中心に担当してきた。海外事業や銀行折衝は会長(久実氏)に任せっきり。けれど、その会長が亡くなった。これからは自分が大戸屋を引っ張らなければならない。そんな気負いがあり、三枝子氏や智仁氏の気持ちを十分に考えられなかった」
(つづく)
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