2024年11月23日( 土 )

今や霞ヶ関では「矜持」という言葉は完全に死語となった!(1)

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 安倍政権では日本官僚の宝であったはずの「公文書」も政権にとって毒と思えば、いとも簡単に「廃棄したこと」にしてしまう。それに異を唱える高級官僚もいなくなった。今や「矜持」という言葉は霞ヶ関では完全に死語となった。

 師走が迫った12月13日(金)午後6時半~午後8時半にお茶の水ブックカフェ「エスパス・ビブリオ」において鼎談『国家はなぜ嘘をつくのか』(主催:エルズバーグ実行委員会、NPJ(News for the People in Japan))が行われた。会場には遠く仙台からの参加者を含む約80名が参集した。演者は前川喜平 現代教育行政研究会代表(元文部科学事務次官)と猿田佐世 弁護士(新外交イニシアティブ(ND)代表)、コーディネーターは梓澤和幸 弁護士(NPJ代表)だった。

 

鼎談風景(向かって左から、猿田佐世氏、前川喜平氏、梓澤和幸氏)
鼎談風景(向かって左から、猿田佐世氏、前川喜平氏、梓澤和幸氏)

その人の内面と勇気に接し、希望を語るためである

 主催者のエルズバーグ実行委員会とは何か。コーディネーターの梓澤和幸弁護士は次のように説明した。

 ダニエル・エルズバーグ米国元国防次官補補佐官が命がけで明らかにした「ペンタゴン・ペーパーズ」(「米国防総省秘密報告書」)は「ベトナム戦争の嘘」を自分の論調ではなく、政府自身の言葉で語っている。

 刑罰で真実をおさえつける特定秘密保護法(2013年成立)に直面した時、ペンタゴン・ペーパーズを暴露したその人の内面と勇気に接したかった。日本にお招きしたがかなわないとわかり、どうしても、と願う者たちでエルズバーグ実行委員会をつくり、2016年3月19日、20日の2日間に渡り、サンフランシスコ近郊のエルズバーグ氏宅を訪問しインタビューした。それを、書物にしたのが『国家秘密と良心 私はなぜペンタゴン情報を暴露したのか』(梓澤 登、若林希和 訳・岩波ブックレット2019.4.5)である。絶望に陥りがちな私たちが希望を語るためにどうしても本書が必要であった。(当日、会場に持ち込まれた岩波ブックレットは完売した)

「ベトナム戦争の嘘」を政府自身の言葉で語らせた

 国家が民衆を駆り立て、200万人ともいわれるベトナム側の犠牲者、5万7,000人におよぶアメリカ軍兵士の戦死者、4,968人の韓国軍兵士死者、これだけの痛みと悲しみを強いた戦争が嘘だった。象徴的なものは「トンキン湾事件」の顛末である。

 トンキン湾事件とは、1964年8月2日トンキン湾でアメリカの駆逐艦「マドックス」が、さらに同月4日に「マドックス」と僚艦「C.ターナー・ジョイ」が北ベトナム魚雷艇の攻撃を受けた事件である。ジョンソン大統領は上下両院議会のトンキン湾決議(大統領に無制限ともいうべき戦争遂行権を付与)に基づき、北側の砲撃を口実に北ベトナムへの爆撃を大規模に拡大した。

 しかし、今では、トンキン湾事件を遡ること3カ月も前の1965年5月にハワイで、上下両院の決議文のシナリオ「北の攻撃を口実にして、南を防衛するため北爆の大規模な拡大をする。その戦争遂行権限をアメリカ両院議会は大統領に付与する」ができ上がっていたことがわかっている。事件当時は1964年8月、ベトナム中部トンキン湾で北ベトナムの軍艦が2回に渡り、アメリカの軍艦を砲撃したと報道された。しかし事実は、1回目はアメリカ側の挑発による砲撃であり2回目は実際にはなかった架空の出来事であった。

(つづく)
【金木 亮憲】

【ダニエル・エルズバーグ(Daniel Ellsberg】
 1931年シカゴ生まれ。戦略研究者・平和運動家。元国防総省勤務、元国防次官補補佐官。ハーバード大学卒業後、ケンブリッジ大学に留学、ランド研究所、米国国務省で政策研究。「ペンタゴン・ペーパーズ」作成に関わるが、1971年に国防総省のベトナム政策決定経過を「ニューヨークタイムズ」や「ワシントンポスト」に内部告発して合衆国法典793条e項(国防機密漏えい罪)に問われ、起訴、解任。その後、ロサンゼルス連邦地裁で控訴棄却の判決。

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